今日は休日です。少しだらだらと書いてみたいと思います。
Facebookを眺めていたら、同じロルファー仲間の田畑浩良さんと、ロルファーで能楽師の安田登さんのイベントが出てました。刺激的なタイトルです。「憑依と肚と女神イナンナ」 。
女神イナンナは、安田さんが数年かけて展開してきたプロジェクトで、紀元前3,500年頃に起こったとされる古代メソポタミアのシュメール文明の楔形文字で記された現存最古の神話のひとつ「イナンナの冥界下り」を題材にした能楽です。公演とワークショップを重ねながら徐々に作りあげていき、今年欧州公演を果たしました。(多分)このおはなしを題材に、「空間に於ける位置関係のパフォーマンスに与える影響」というテーマで、田畑さんと行う、対談&体現のパフォーマンスみたいです。残念ながら都合が付きませんが、非常に興味そそるテーマです。
能や狂言の演目だと、霊とか憑依というのはよく扱われます。それから歌舞伎や文楽と言った少し庶民的な古典芸能でも同様です。幽霊、生と死、それから蘇り、仇、心中などよく出てきます。日本では魂は死なない、それくらい日本では生と死の繋がりを大切にしてきました。
又、日本には切腹もありましたし、武道や精神鍛錬において、肚感覚というものが重要ですので、古典作品や武道の中では、生と死、身体性というテーマは今に繋がってきています。
身体的な記号としては、更に、気配とか、空気感とか、場の感覚とか、なんとなく感じる雰囲気とか、目で見えない身体的記号?が日本では文化的に多いです。
この身体の感覚というのを、ロルフィングセッションで扱うテーマです。身体を1つの場としてどう捉えるか、その身体が共有の人が集まる場の感覚とか、また部屋という空間と身体の関係性など。ちょっと難解ではありますが、こうした身体を通じて作られる感覚、連なり、繋がり、変化、作用している身体感覚を味わってもらうことを感じてもらったりします。まだ活用していない身体感覚、身体知性と、出会えるとそれは、その人の新しい身体感覚として、使えますので。
よくわからない方もいらっしゃると思いますが、例えば、ライブやコンサートの空間。演劇や舞台ものの空気感や場の感覚。独特なものを感じると思います。いつもと違う身体感覚を感じてもらう感じです。
身体感覚は、一人のボディという感覚もありますが、一人をを超えて、身体の関係性、二人の間合い(たとえば漫才や対決など)とか、それから身体が接触する場(コンタクトインプロヴィゼーションや、ある種のペアダンス、挨拶(ハグやキスの文化)、ボディランゲージ、セックスなど)でもまた別の身体感覚や間合い、があると思います。
こうした存在感的な身体性での歪みや関係性もよく使うテーマです。間の取り方、空気感、掛け合い、場のコントロール、言語表現上少し飛躍して話していますが、こうした身体感覚は空間や時間、関係性に左右されるものです。その辺りの知覚的な広がりが、治癒や新しい表現と繋がる場合が多いのです。アクティブな接触、パッシブな接触などよくテーマとして使いますが、こうしたテーマのセッションを体験されると、身体表現されている方などはすごく楽しいと思います。
さて、少し話を広げてみますが、最近映画をみます。映画の中でも、人と人との関係性が描かれています。例えば60年代70年代あたりの映画を見ると、人間と人間の距離感や、関わりが近い、密度が濃い気がします。今見ると懐かしい、けど少し暑苦しい、そんな気もします。
映画は、歴史を扱う作品が多いし演出上の空気感や関係性を感じますが、実際の我々の日常生活は、昔とはちがい、関係性や身体感覚の感じれない、そんな日常生活になってきた気がします。特に東京では、そんな気がします。人はたくさんいますが返って人と人が出会わない街のよう。ただ東京は外国人の方多いので、そうした日本人的な空気感ではない、また別の、第三の身体感覚?のようなものもだいぶ息づいているような気がします。外国人率の高い、原宿や渋谷を歩いていると特にそんな気がします。これから様々な国の身体感覚が身近なものとして無意識に入ってくるでしょう。
我々の生活は外国のものは、たくさん入ってみていますね。モノだけでなく言葉、概念などが仕事やIT技術と一緒に知らぬ間に無意識にたくさん入ってきています。ニュートラルな言語や概念たち。身体にとっては、少し眩しい気がしているでしょう。
心理学でバウンダリーという言葉があります。人と人との関係性、距離感を感じて安心できる関係性を作ろうとする概念ですが、日本でもバウンダリーということが最近言われるようになりました。家族や職場環境、友人、あるいは男女間との関係性に関して、違和感を感じる人が増えてきたということでしょう。セクハラ、パワハラのような言葉も、やはりこの関係性から出てくる言葉なのでしょう。やたらと清潔感を気にする場面も増えました。
それはある面、言葉や性格の面もあるでしょうが、身体感覚的な違和感、雰囲気というのもで表されます。何かと何かが一緒。別。どこまでが私の範囲で、どこからがあなたか。どの程度の接触や出会い方が適切か。
今まで考えたこともないような事を、感じ始めてしまうと、そこからバウンダリーという感覚が育っていき、ある納得(あるいは妥協)できる点を見つけるまで、違和感や不安感として、私たちを苦しめることがあります。
(少し話が、変わってきていますが、休日モードゆえ、お許しください。)
最近、ロルフィングを受けに来る方の中には、そうした関係性を悩んでいる方が増えています。時に病むなど当たり前で、次第にある種のパニック症、心身症、統合失調される方も増えています。ロルフィングのやり方も、クラシカルなボディワークスタイルを超えて、色々な手法を変えて、統合的なシリーズに仕上げています。身体統合のロルフィングと、それから認知の統合のロルフィングを行うことが増えました。人間に関する様々なものを統合していくワークにセッションが進化してきたともいえます。
どうしてこんな風になってきたかというと、やはり身体は、様々なことがある有機的な存在、多元的なものだということだろうと思います。これを余りに単調な環境や社会環境、電子機器と接する日常生活に身体が耐えきれなくなってきているという感じでしょうか。(個人的な理由ももちろんあると思います。)
ロルフィング的な手法が効果が上がるのは、ロルフィングの関わり方、例えば対話的な接点、ラポール感、空気感、空間を感じとる部分の正常化、認知や感覚の正常化、身体統合ということが、関係性やプレゼンテーションにも効果があるように思います。
身体統合は、認知や自分の統合、表現力や行動力の発露というロルフィングもあるということ書き置きしておきます。ベーシックな意味では身体構造のズレ,身体機能の回復、統合というのがスタンダードなロルフィングですが、最近は心と体のズレ、自己理解というテーマで、セッションを行うことも以前より増えてきたような気がます。これは僕だけかもしれないので一般化は出来ません。僕の場合、という前提です。
さて、この変化がなんで起こってきたのかと考えてみると、色々な理由はあると思いますが、我々自身が身体より頭寄り、つまり意識的に生きるようになってきたこともあると思います。より頭の中や爆発的に増大したネット空間というバーチャル世界に、われわれの現実が移行しつつあるということがあるように思います。
ロルフィングは、身体や無意識を司るワークですから、バーチャルの外に連れ出すという体験となり、可能性が広がります。
心のズレ。心と体のズレ。体のズレ。少しづつやり方が違うのですが、こうした対話的なボディワークセッションで、身体や脳の全体を使うこと、統合していく治癒効果があるのだと思います。
この発展系には、更にグループや大勢の中での身体感覚や、グループスタイル、企業や組織の在り方。家族関係など、様々な関係性にも、身体性は影響しているなと感じます。関係性で違和感を感じている人、ドロップアウトしていく個人がいかに多いことか。人間関係で苦しんている人がいかに多いことか。もともとは繋がりの国であった日本は、繋がりで苦しんでいるように感じます。
ここまで外国のものを全てを受け入れ、好奇心の中、川の流れのように、流れてきた国。全てを受け入れOKとしてきた国が、情報化、デジタル化した現代の複雑なメディア環境の中で、頭の処理量を飽和し、その中で、何がいいのか、分からないような、少しカオスのように感じている身体感覚の違和感をお持ちの方も多いような気がします。カオスに接している情報環境から、一歩引いて、自分で情報を取捨選択し、自分軸で生きて行くことがよいことはわかっていても、なかなかその在り方に移行できない、もどかしさを訴える方も、年代により多いでしょう。
日本人の身体性はどこに行くのか。それは誰にもわかりませんが、この西洋で生まれたコンセプトを持ち、そして身体に対するワークだからこそ、心と身体のズレを解消させることに、軟着陸できる、そんな可能性も最近は感じています。それが何かというと、僕は身体的なオリジナリティ、個性の発露、そして表現力の表出だと思っています。忖度を超えて自分らしくなっていく力。癒しや共感を超えて、健康になって行くには大切なことだと思っています。これが一つのニュートラル。
その一方でもう1つのニュートラルは、前向きな意味での日本的身体としての、憑依や肚は、憑依力、肚感覚として、それぞれまだまだ力のあるジャパニーズコンテクストの一つだと思っています。2つのニュートラルを並存させている日本って一体?と思う若い方も多いかと思いますが、昔から日本はそんな国でもありました。本音と建前の国の身体と心は、何処へ。
長くなりましたが、 二人のロルファーの共演、イベントの成功をお祈りしています。