REBORN FESTIVALでは沢山の気づきがありました。一つ紹介します。
今から95年前にシュタイナーはこの言葉を残しています。この言葉には、今までブログで書いてきたことのエッセンスも、ロルフィングや、(特に)クラニオなどで行っていること、流れる身体、動いている意識を作っていることの意味も、大げさにいうのなら、生きていることの意味をも包含しているようにも思えます。私たちが生きているということは、やはり流れている必要がありそうです。固まることは、痛みが生じます。それを痛風と例えたのでしょう。
時に人間は、自分の外に出て痛みを感じないようにすることも出来ます。その痛みは固着したまま、自分として生きていきます。必要な痛みは、痛みとして感じる必要があります。感じないようにしたままでは、リピート再生を繰り返します。時間は止まっていきます。ブログでも何度か取り上げてきたテーマです。