日本の神様は八百万の神。先日、高野山のお坊さんの法話に神についての話が出てきました。
神を英語に訳す時に GODとしたのは間違いだったと。GODは絶対神、日本の神は、精霊とか妖精くらいの感じで、お願いとか出来る横つながりの神様だという話でした。西洋のGODにお願いなんて出来ない存在であると。
日本には、神様がたくさんいて、山、海、森や木などの自然界に神様が宿ると信じ、自然を拝み共に生きてきた。山や川に限らず、田んぼの神様、台所の神様などそこら中に神様がいると考えてきました。トイレの神様なんていうのもありました。
日本の神様は完全無欠の絶対神ではなく、神々が力を合わせて自然界や人々の生活を守っています。協力するという部分が、日本人の生き方にも投影され、他と比較して違いを見つけ排除や批判するのではなく、共通点を見つけ、足りない所を補って生きてきました。
しかし、最近は、情報環境の変化や、個人主義、ワールドスタンダード的な新しい関係性、業務体制が入り込みすっかり、協力するような場面が、義務化した部分だけが残り形骸化し、社会のあちこちで人の繋がりの劣化が広がっています。
基軸となる宗教がない人が多い日本なので、価値相対化、一元化の中、自分の無意識のソフトウエアが使えずに葛藤している人、無思考的な行動や簡単なメッセージに共感する、或はカルト的な深いつながりの集団が、強固な強い人間関係やニコイチ的な関係性で繋がっているか、或いは孤立している、そんな環境の中、心身を痛め、病に陥る人も多いです。古来の日本的な人間と人間の繋がりとは違う社会環境が現われてしまっていますね。八百万の神々は、今の日本の状況をどう眺めているのでしょう。
新しい個人、家族、社会関係へ向け、新しい世代から少しづつ変化しているようにも見えるし、まだまだ難しくしていくシステム的な無意識モデルが、現実を支配しているようにも見えます。自分の立ち位置からしか現実が見えなくなってきて、狭視的になっていきがちな現代だからこそ、今一度身体的な全体性や知覚含めて、自分の現実感をニュートラルにすることは大切だと思っています。
学びと気づきは、カタストロフやパンデミック、環境変動、戦争が起こってからでなく、人間性の回復に伴う意識や人や自然との関係性、場、身体の変革から起こると信じています。