こんばんは。
歩き方を調べていて、日本のナンバ歩き、ラテンのステップやノルディックウォーキングなど色々検証していて、トルコの行進にたどり着きました。こんな行進です。オスマン帝国時代の軍隊の行進だそうで、なかなか迫力がありますね。映像では明確な意図を持って歩かれてませんが、古代の歩行法には色々な効果がありますね。
兵士の行進を見ていたらトルコのことを少し思い出しました。
22歳の時にモスクワ経由でトルコのイスタンブールに行きました。そこではたくさんの初めて見るものと出会いましたが、心惹かれたものの一つがモスクにあったモザイク模様でした。
吸い込まれるような青から始まる羅列の妙技。周りに流れるコーランも臨場感あふれ、耳に届く。五感を全て持っていかれるような聖なる場所、包み込まれるような感覚の全体性が、この時のイメージで体に染みこみました。このモザイクという視覚、体感的にであったのがイスタンブールのモスクでした。出会ったものとは何十年経っても覚えているものですね。
このモザイクという手法は古代から使われています。例えば紀元前2600年から紀元前2400年頃に遡るとされる「ウルのスタンダード」は、持ち運びできるサイズの箱状の木材の各面に、貝殻や赤い石灰岩、青いラピスラズリを埋め込んだモザイクで、軍隊の行進や饗宴の場面が描かれてます。
人間の体もモザイクなんじゃないのか、そんなことを思うことがあります。それはセッションで身体に触れる時に、モザイクを感じるように感じることがあるからです。
もちろんそんな機械はまだありませんので、単なる体感的な知覚ですが、セッションで体に触れているとモザイク模様が現れてその人の身体状況が模様のように見えることがあります。
人それぞれに違うモザイクがだんだんと姿を現われてきます。全体性を感じてくると、最初に全体を包むフィールドが現れて、そして斑のような模様が現れて体を覆っていく。そしてそれは段々とモザイクとして展開していきます。手を離すのはモザイクの模様が整ってきて、美しさを感じた頃でしょうか。
とてもアナログな感覚で、数値化も出来ず、ただ感じるのです、としか言いようがないのですけどね。クラニオセイクラル・バイオダイナミクスを行うようになってから、ずっと流れる流動感覚を感じていたけど、最近は、このモザイクなボディに触れていくというやり方も少し面白く思っています。
さて社会や世界が不透明で、自分がどこにいるのか、自分がどこにいくのか、人間関係の一歩外に出ると分からない情報過多の世の中です。身体の中も、モザイク模様のような美しさを感覚的なアウェアネスを通じて体現してみるのも面白いですよ。
という風に数年前に書き残していました。
今読むとちょっと、?な感じもしますが、そういう標準化されない世界や、機械やオンラインを通さない知覚も、人間には本来はあるんだぞとも思いますし、セッションで知覚的なアウェアネスする人も、中にはいますので、更新する感じで書き残して置こうと思います。
幻?いや、それはイスラム教の詩のように
確かな時を刻むよ
(小沢健二 神秘的より)