映画の主人公は、自分や大切な人との「幸福追求」のために行動する。巻き込まれたトラブルから脱出し、奪われたものを取り戻し、次のゴールへ到達したいともがく。映画学部で脚本を書いていて、主人公が求めるものは究極的には「恋愛と戦い」である、という結論に至った。
そう語るのは、(株)ボルテージの津田社長。僕がその話を聞いたのは10年前だが、売上高100億を超えるようになった今も企業ビジョンにそれを連ねる。
「恋愛」とは、男女間の恋愛にとどまらず、人と人が認め合い支え合うことを含む。「戦い」とは、ライバル同士の競い合い、自分の弱さの克服、社会の古い因習への挑戦などを指す。逆境の中、主人公が自分なりの幸福を求め、もがきあがく姿に観客は共感し応援したいと思う。悩んでいるのは自分一人ではないと励まされ、癒される。それが物語の力だ。私たちは、ネット時代にふさわしい物語の形を考え、独自スタイルとして追求していく。物語の力は今も健在だ。
ロルフィングをするようになって、ひとりひとりと向かい合う時間が増え、身体の統合を超えて、一人一人の自分には物語が必要だと、感じるようになった。
恋愛や戦いは必要だけど、今は代償戦や代償恋愛が多く、自分の人生では、恋愛も戦いもない方が絶対的な正義であるような、そんな雰囲気が社会に遍在する。心理学者か投影と呼ぶ代償を行うことが常識になったのだろうか。
自分の人生は無事平穏に遅れることが最優先でいくことや35年ローンや、安心できる就職や、予定調和なイベントに顔を出し、笑顔で皆で手を取り合う。そんなパラダイスができていくのだろうか。
本質的な意味でいうと、人は愛したり、戦ったりしながら生きていくのだと思う。それは関係性にも繋がります。その部分をあまり使わないで生きていくと、きっと「生きている感じ」がしなくなっていくのではないのかと思う。それは、リアルでなくても、パフォーマンスでも、祭儀でも、構わないとは思うが、それを完全に無くしてしまうと、何かと出会うことがなくなり、次第に自分だけになり、本来の人間性からズレていくような気がしています。
方法論や在り方は変わっていってもいいけど、自分の為のlove & fightちゃんとしていますか?