デカルトは心を「私は考える」 、すなわち意識として捉え、自由意志をもつものとしました。一方、身体は機械的運動を行うものとし、かつ両者はそれぞれ独立した実体であるとしました。
スピノザは精神を身体から裁然と区別して考えていたので、この結合についても、また精神自身についても、何らの特別な原因を示すことが出来ないで、全宇宙の原因へ、即ち神へ避難所を求めざるを得なかったのです。
ライプニッツはこう語っています。「精神と身体とが一致するのは、あらゆる実体の間に存する予定調和による為であり、それはまた実体が元来、悉く同一宇宙の表現だからである。心身関係を時計の製作者が優秀であればあるほど、相互に何の因果関係もない二つの時計が、時刻がぴったり完全に一致するように製作可能である。と話した。
哲学者にとっても心と体の調和は難しいかったということですね。。。デカルトもスピノザもライブニッツもロルフィング受けてから、語ると少し違う文脈になったのではないだろうか。そんな風に思う今日この頃です。。。
理解するより経験。
あなたの優秀な時計を今ここに合わせましょう。