再会というのは特別なものです。
とても素敵な時間です。
そして時間が動き出します。
それは過去に出会った証拠と言えるかもしれません。
人生も真ん中を超えたあたりから、
再会する、そんなことも増えてきます。
制作時代、アシスタントをして頂いていた方と、久しぶりに食事しました。
8年ぶりでしたが、元気そうにしているようで、
当時の話、今の様子、尽きない話は、何時間にもおよび楽しい時を過ごしました。(ワインも2杯づつ。)
彼女が、こんな話を始めました。
「吉田さんに昔言われた言葉で、ずっと大切にしている言葉がある」
という。
「どんな話?」
興味が湧き、身を乗り出した。
「えーわかんないの?」
「うん、わからない」
それはこんな話だった。
「思っていることと、口に出していることと、そして実際に行動していることが一致させること。」
「すると葛藤が減るから、何事もうまくいく。時に振り返り、そのことを確認し、
自分を修正しながら自分を進めていった方がいい。」。
そんな趣旨の話だったそうです。
自分でも忘れていましたが、
確かに、自分の気持ちと、自分の言葉と、自分の行動は、
時にズレて行ってしまうものです。
気付いた時に、修正していかないと、
自分がいる場所が本当に居たかった場所なのか、
自分が話している言葉が本当に自分の言葉なのか、
分からなくなっていることがあります。
例えば今している仕事は本当に自分がやりたいことなのか。
たまに見直してみることって大事だと思います。
例えうまくいってたとしてもね。
忙しくなると関係性に身を委ねてしまうから、
やるべきことをやるんだということを
自分を信じて止まないのだろうけど、
長い人生には、何度かそういうタイミングがやってきます。
コンテクストの変更、生きやすい自分へのシフトの時があると思います。
心理学だと自己一致という言葉があります。
「あれから10年位経っているけど、私にとっては、
その言葉をずっと大切にしてきた。
あの頃感じていたことが、私の原点みたいになってる」という。
「そうだったんだね、それで、その結果的に今はどんな人生を感じている?」
「あれから得たものも失ったものもあるけど。。。今、大切に思えることと繋がっているし、失った分、もっといい新しいものを得れた気がします。」と。
「うん。それはよかった。」
「今の自分がいいと思えることが大事だね。」
二軒目で、もう2杯、ほろ酔い加減で歩きながら恵比寿駅まで彼女を見送り、
家への帰り道、歩きながら考えた。
さて僕は、自分で言ったことが出来ているのかな。
思っていることと、言っていることと、行なっていることが一致しているか。
分からないので、家に帰り、妻に聞いてみた。
「え?順番が逆の時もあるけど、まあ、一致してるんじゃない?」
そうか、それは良かった。
自分のことは、自分ではよくわからないものです。
今回は、大丈夫のようでしたが、
そして人に話した話が、自分では出来てない、そんなことも多々ありますね。
自己一致している方が自分の内部が、
葛藤がなく自然な状態と言えます。
それは普段はあまり気がつかないのですが、やっぱりいつも自分、自然体がいいです。
時に加齢や環境変化により、また精神的な負荷がかかりますと、
モヤモヤ感が増してきたり、不安感、違和感に陥るケースもあります。
時に身体症状や神経の高ぶりを感じることあるかもしれません。
そして 人は自分では自分のことに気が付いたり、
修正したりはなかなかできないのです。自分は絶対に正しいと自我は思いがちです。
ニュートラルな第三者の目に触れる時に、気づきがあります。
身体をみていて、身体でも同様のことが起きている気がします。
身体の中で一致していない部分に、
葛藤が生まれ、固めやコリ、捻れを作り出しています。
でもそのことには、本人は気づいてません。
言われてもなかなか自分では修正出来ないですね。
つい頑張りすぎてしまう。そして固めてしまう、痛めてしまう。
ロルフィングでも、身体を統合、調和させていくのですが、
同じような感じで、緩めるだけでなくて、
力のかかり方とか、動きと感覚を一致させていくような感じです。
さて人生後半の再会は、
懐かしい気持ち反面、過去の自分が映し出されていて、
自分の過去に裁かれているような気もします。