今晩、第2週の再放送ありますが、(第2週はネアンデルタールとホモ・サピエンスの話です。)NHK スペシャル 「人類誕生」をみています。
最新の研究による人類誕生からの環境変化、人類史の攻防や獲得した叡智や身体性、身体の変化、社会性の変化、祖先達の冒険の物語を、リアルなCGが描き出していて、とても興味深いし、心打たれるものがあります。
現実的な環境への対応、その過程で生み出してきた一夫一婦制、略奪(肉食獣が得た獲物を奪う)、走る行為(なんと長距離走るのは人間しかできないそうだ、)、集団活動(狩や集団生活を通じて、協働、共感、協力、介助などが生まれてくる。)など、今の我々にも通じる習慣や風習が生まれてきています。これらは数百万年前から積み上げてきたこと風習であるとは驚きです。
そして何度もの絶滅の危機を、好奇心を持ち、新しいものと出会っていった種が結果的に生き残っていった。「生き残る」という感覚。このサバイバルが生命の基本で、困難を協力と好奇心で新しい局面を開いていきました。自然と対峙してきた人類の歴史が我々の無意識の中の基本にあるのだと思います。
身体を全部使う時、意識を全部使う時、ある種の自分でもしらない力が出てきて、現実を更新していく。そんなことを感じています。無意識の力に出会うと、コンステレーション(布置)の力、シンクロニシティと、巡りあわせてくるのかも知れません。
身体の中の無意識を変えるセッションをしています。ケースにより心理的な深いセッションをしていくと、身体の癖を超えて、深い無意識と出会うこともあります。深い無意識、記憶、イメージから、そのもっと奥には、集合的な無意識が繋がっていて、セッション、そして意識の可能性を感じます。
さて、話題を変えますが、日本は、豊かな自然を背景に、自然と対峙するよりも、自然と調和してきた歴史を持ちます。日本人の無意識には、対峙よりも調和していく発想が他の地域に住んでいるよりも多いのかもしれません。
縄文時代と名前が付いている日本の新石器時代の中には、なんかとてつもない可能性があって、驚きと発見があって、学生時代以来久しぶりに、マイブームとして縄文時代に触れていたら、縄文繋がりの出会いが増え、代官山のクラブで、映画監督の山岡信貴さんにお会いしたり、某縄文研究家の方と出会ったりして、この前書きましたが、想いと言葉と体現が一致してくるというのは本当にあるのだなと思ったりしました。これもシンクロニシティですね。
縄文時代は今から14000年ほど前から1万年続いた文明で、世界史上もこれだけ長く続いた文明はないです。まだ国というものが規模が小さくて、権力とか、支配とかない時代だったのでしょう。人間関係よりも、自然との関係性で生きてきた、そんな時代だったのかもしれません。それが恵みでも、災害でも、自然を通じてコミュニケーションする、ということを日本人の無意識には大きいのかなとも思います。それは今も変わってないような気がします。
写真は山岡監督の来月公開される映画(縄文にハマる人々)です。縄文が好きな人、研究している人、表現している人など多くの縄文関係者?のインタビューや取材を元に仕上がっていて、縄文関係者?では盛り上がっています。
http://www.jomon-hamaru.com/#intro
東京では、TE2ボディワークス近くのイメージフォーラムで、7月に上映されます。
http://www.imageforum.co.jp/theatre/movies/1664/
楽しみです。