自動運転車が話題になっていますが、車の前に、自分が自動運転になっていないか、一度チェックしてみると、実にいろいろな自分のことが見えてます。
我々の体自体、自動運転のデフォルトモードがありますし、脳にもDMN(デフォルトモードネットワーク)というシステムがありますので、自動運転は普通のことです。しかし違和感や不快感を感じてまで、自動運転に従っていることもないので、自分で感じて、考えて、自己修正していけばいいのです。自分のルールはいつでも変えられるのです。
自分で自分を止められるか。当たり前のようですが自分を止められない人も世の中には多いです。色々と理由はあります。会社の事情、人間関係、生活の事情、欲望などさまざまな理由はあるが、やはり自分のハンドルとブレーキはある程度自分で握れていた方がいいと思います。自動運転になっている自分に気がついてないことだって多々あります。
自動運転でも別に悪いわけではないです。いいとか悪いとかでもないし、自分で選んでいればいいわけです。行き先もお任せでもいいし、ノリに任せたって良いと思います。返ってメリットを考えて選んで行くよりも、ノリや直感に従って選んだ方が後から考えるといい場合だってあります。直観力は時に判断力を上回ります。
直観力だけで生きてきたという人も僕は何人か知っていますし、その方が幸せだったり、うまく行っている場合も多いです。判断するというのは、選択を限定してしまいまます。身体的な直感、虫の知らせ、雰囲気や気配が、自分を導いてくれることの方が、本質的なこともありますね。メリットとは違う文脈の人生のあり方です。
自分で決めた時は自己責任ですね。他人のせいにせず、自分に起きたことは自分で責任をとる。そういう生き方ができていた方が、現実に集中していくのだと思います。メリットというつながりでない、人生の始まりです。新しい文脈の扉が開きます。10シリーズを行う時も、なるべくそういう扉が開くようなセッションに臨んでおります。
ボディワーク的にみると身体は無意識の自動運転が多いです。もともと人間に備わったものもあるし、それから生まれてから自分で身につけてきたものもあります。身体化されていると自動運転になりがちです。
自動運転されていると、全て自分のように感じますが、自分のためになってない自動運転もありますね。体には動きのクセ、ボディスキーマとして、自分に内在して自分としてしまっています。体の場合、動きの場合は、区別化、統合という手法を使って、新しい自動運転にするように、再構築しています。