時間と空間。そして身体と意識について。また意識と無意識についてとか。そういうことが疑問である方や、色々考えたり、問い続けてきた方などは、身体を帰るという方法論は、分脈が増えますので、たくさん気づきがあります。
身体による統合体験は、色々と新しい知覚が増える機会ですので、考え続けても分からなかったことに付くこともあります。しかし脳にとっては、全く新しい経験(と言っても元々の自分の方へ戻るだけなんですが、)
身体的体験は、何が起こったのか、認識できないことも多いです。身体は、言語を超えています。なのでセッションでは多少、「対話」という手法を使って、その方の体験を経験にするお手伝いをすることになります。
さて、時間というのは、時計のように過去から未来に一直線に並んでいると思いますか?もちろんそういう時間もありますが、実際は、そうした均一的な時間とは別に、個々の人間ごと、心理的な時間があると思います。楽しいと時間が過ぎるのを忘れる。とか、歳をとると時間がすぎるのが早くなったとか、聞いたことありませんか。
実際はどうなんでしょう。僕思うに、楽しい時は楽しさの中に自分が入ってしまい、無意識になりますので、時間のことを忘れてしまい、時間が経過しているのではないですかね。つまりはゾーンと呼ばれる意識状態で、ご本人の意識は無我の中、長い時間の中の楽しさを感じているのだと思います。
また年を取るというか、認識力が落ちて来て、現実の中のことを行うこと際にその現実の体験よりも自分の中の経験の中に、つまり無意識になってしまっているので、時間経過の途中に気がつかないので、たまに気が付いた時に、「ああ、もうこんなに時間が過ぎたと気が付いて、時間の経過が次第に早くなっていくのではないでしょうか。
年を取っても、新しいことに取り組んだり、新しい人と出会ったり、新しい経験をしている人は、その新しさの分、新しい経験を意識的にしていますので、意識的な経験が多く、たくさんのことを脳に刺激として送っている、結果的に色々なことをした間隔、印象があり、充実した心理が残っていくみたいなイメージです。
無意識は間違えなく現実を動かします。しかし意識は間違えながら(間違えそうになりながら)経験して行くこと(自分の無意識に新しい情報を増やしていく)が自分の新しい時間になるのではないかなと思っています。その分、今まで光が当たらない場所に光があたり、新しい道が出来ていく感じです。新しい自分が作られているので、結果的に情報量的に長い時間を感じるのだと思います。
年を取ると経験が増えるので、脳は経験に照らし合わせ、合理的に最短距離を進もうとします。(合理性は数学的な合理性もあるし、脳にとっての合理性もあります。つまり楽したいということです)。無意識で動いているので、その間、気がつかず、気が付いた時には、かなりの時間が経過している。意識化できる感覚情報を豊かに生きた方が、ご本人の充実度は高くなっていくのではないでしょうか。量子力学や哲学の中でも、現実はリニアなものでなく、ノンリニアなものとされてきています。自分軸で新しい現実を生き始める時から新しい時間軸が始まります。質的に変わるというのは、そういうことまで含まれる可能性があります。