今年の驚いた事の一つに、西城秀樹さんの逝去のニュースがありました。
2003年、ディナーショーのため訪れていた韓国で脳梗塞を発症。声帯も損傷し歌える状態ではなく引退会見。その後ファンや家族の励ましや期待に応え、芸能活動を継続しながら回復に励む道を選びました。
自分の闘病体験が同じ病気を患った人たちへの役に立てればと、医療関係のシンポジウムなど講演も積極的に行い、また歌手として復帰する為に無くした声帯の神経の周辺の神経を刺激し鍛えるボイストレーニング法に取り組んでいました。
2011年に脳梗塞が再発していることが判明、右半身麻痺の後遺症が残りましたが、リハビリに水中運動を取り入れ、筋力をつけることで立つことには支障が無くなり、再びステージに立つまでに回復、その姿は、人々に生きる勇気を与えました。その後も活動を続けながらリハビリに励みんでいましたが、2018年5月16日、リハビリ中に意識不明になり死去。享年63歳でした。
声帯周り、そして身体全体を使う筋力トレーニングやリハビリで改善していく様子に、ボディワーカーとして注目していましたが、最初に損傷した脳梗塞的な状況に最後は天に召されたのでしょうか。脳の使い方、脳に刻み込んだ信念体系をシフトするのは、並大抵のことではありません。頑張ること。誰かの期待に答えること。そして自分はこうであるという強い思い込み、強すぎる情熱などの、信念は、時に自分さえも奪っていくことがあります。
平均寿命が80歳を超えた今の普通の感覚だと、63歳は早い気はしますが、「情熱の嵐」の中を生き抜いた昭和を代表する歌手は、その生き様を示し続けた、そんな風に映りました。昭和というのは、そういう頑張り続けることが、常識であった時代なのかもしれません。そういう時代は、ダイナミックで、風が吹き、雷が鳴り、時に我々に落ちてビリビリと痺れて、我々を激流に導いてくれます。エネルギーに満ちて彼の周りは天国と地獄が現れます。
雷のあたりどころが悪いと時に命を落とします。その反面、情熱の嵐に包み込まれている間は、幸せを感じているのだと思います。それも人間性のある一つの体現です。いい、悪い、ではありません。昭和生まれの中にはまだまだ、情熱の嵐を生きる熱い人が沢山います。
さて現実の社会は昭和は過ぎ去り、平成になり、社会から、情熱や強い関係性がなくなり、乾いた時代と言われます。強いファンとの関係も、日本語のようなハイコンテクスト言語に生きている亡霊のような命がけの言霊とも、いい関係性を作ることを求められる時代です。
自分を頑張る時代、しかし頑張り過ぎない時代。身体から自分自身を探しましょう。ニュートラルな身体性があなたを導いてくれるのだと思います。まだまだ頭でっかちに、まだまだ辛い人間関係や明治時代、下手すると江戸時代の言語に生きている人も多いです。どうせ戻るなら平安や奈良時代、いやいや縄文まで戻るとしっくり来ると思います。
今の自分自身を感じる為の学びと気づきが大切だと思います。身体からニュートラルに。
さて西城秀樹を追悼し、「情熱を嵐」を。