海の砂浜から波打ち際までに至るまでの場所を「渚」といいます。
海でも砂浜でもある場所。波が行ったり来たり、どっちでもある場所。
学生時代にやってた都市社会学だと「中間領域」と言いましたね。
視覚的な連続性、空間的な連続性、そして到達可能性を開いて置くこと。この要素がある街つくりが大切だというような話だった気がします。
人間に例えるなら、自分と自分以外が重なり合う場所、そんなものが個人化していく中で、大切になってくるんじゃないでしょうか。
言葉と現実が明確に一致してなくてもいい、そんなゆるく緩やかな、開いた、場所や人が、メディアになって、社会や世界が、活性化していくんじゃないですかねー。そんな人が増えて欲しい気がします。
身体の境界線は、国境のようではなく、アバウトで、本来、渚のようなものなんです。
頭の中で考える世界ではなくて、外の世界と接するために存在しているのでもあります。
身体を固めてしまうのは、そんなことかもしれません。
ルールや意味が我々の生活を覆ってきて、無意識の忖度にがんじがらめになって
生きているのがきつくなってしまって、檻にいるように感じている方も多いかと思います。
身体の外と中との境界線は、本来、渚みたいに出来ています。
波打際は、柔らかく、曖昧で、キラキラ輝いています。
渚を裸足で歩いてみましょう。渚は境界・・・出会いの場所ですね。