ロルファーのトレーニング中は、新しい言葉をたくさん覚えていきます。例えばロルファーとは、プラクティショナーだということを習いました。
プラクティショナーって、カタカナ日本語にはなっているのも知れませんが、よくわかりません。調べてみると、特定の専門的業務に従事する人。実践者ということです。つまりロルファーは、ロルフィング専門の開業者、そして実践者です。
プラクティショナーとして、ロルフィングを実践していくということになり、例えば、個人セッション、講座、ワークショップ、ロルフィング的な動作や行動を実践していくということになります。自己表現として様々な立場でロルフィングを提供、実践していくという感じです。
日本でプラクティショナー的な在り方がどこまで通用するのかは分かりませんでしたが、それはそれぞれの展開や行動力に任される、そんな感じでしょうか。近年、様々な資格の種類が増え、資格をとることが普通になりましたが、資格を取っただけでは、なかなかうまくいかないものが多いです。実践者として技術だけでなく、その体現力が必要だったりします。ロルファーというのも、そんな中の1つなんだと思います。
何を持って自己実践としていくか、それは決まった形式はなく、それぞれが自分軸で、自分の体現を、実践の形をブランディングしていく、そんなことになるのでしょうか。自分のそれまでの経験、経歴を生かし、そして過去や未来の中から、在り方という今を導き出していく、他の業種の職業的な施術者というのとも、ちょっと違い、スポーツトレーナーとも、整体師とも、お医者さんとも、カウンセラー ともちょっと違うプラクティショナーであるロルファー、なかなか面白い役割で、そしてなかなか面白い人が多いです。
ロルフィングについても、施術が上手い人、文章が上手い人、人当たりがいい人、話や説明が上手い人、ワークショップや講演が上手い人、セッションとして質の高いものを提供している人、治癒の力が大きいちょっとヒーラーチックな人、お坊さんや聖職者と変わらないような人、コーチング、関係性ワーク、他のホリスティックワーク、本当に、実践は、色々です。なかなかホームページやFacebookを見ていてもわかりにくいですね。
またボディワークですので、セッションでは身体接触を伴うものです。容姿や、雰囲気、清潔感、他その人の人柄、醸し出すもの、触れられても大丈夫な感じ。とかもありますね。全部を該当する人は少なく、その現れが、プラクティショナーごとに個性になっているのだと思います。果たして自分にあったプラクティショナーは誰なのか。どう出会ったらいいのか迷うところでもあるでしょう。
それでも、身体表層的ではなくて、深い部分、ディープな深淵なるものを掘り下げていきますので、最近の多元的な現実も一元化の方向へ向かい、不思議な縁や偶然が重なったり、出会うべきして出会ったりして、ちゃんと必要な人と出会うようになっているようになってきている、そんな気もします。昔、桜の木の下でたまたま会ったみたいな感じで。一生に一度の10シリーズをこのロルファーと出会う。って書くと、大袈裟でしょうか。いや、それくらいの変化やアウェアネス(気づき)があるものだと僕は思います。
標準や普通を外れた、自分らしさを求めていくものは、近づいていくのでしょうか。それは共時性と呼ぶのか、コンステレーションの配置によるものか、出会いを大切にしている者同士に起こる、引き寄せの法則なのかは、分かりませんが、無意識というのは、どんどん繋がりやすくなっているような気がします。It's the fate, isn't it?