大阪の個展を見て、少しお腹いっぱいだったので、東京での個展は見に行くつもりはなかったのだけど、誘われて、ヴィトン東京のエスパス で展示されているクリスチャン・ボルタンスキーの作品を見に行ってきました。この展示はすごく良かったです。メッセージよりも全体性って感じですかね。この場にしばらくいると身体から気配が溶け込んでいくようです。
何故か我々以外は外国人ばかり。興味がある場所にいくと、そんなことが多いのは、主に平日の昼間だからでしょうか。
さて、ロルフィングでも全体性をテーマとする場合もあります(身体というのは無意識が作用しているので、身体の統合は、意識と無意識という意識の全体性に作用することがあり、様々な気づきが起こりやすい。)が、アートは、そもそもが全体性を根ざしているもの。見るだけでなく、写真、映像、空間、光などさまざまなメディアを用いたインスタレーションは、様々の現代的な全体性への示唆に溢れています。流石に12時間はいれないけど、暫くその場にいると、場と馴染んできた自分が少しづつ変容していくのがわかります。こうした自分を映し出してくれる場に来ることは、健康に寄与することになりますね。この長椅子に座って食事をしたいなと思いました。
僕が自分のセッションで、生死を扱うようになったのは2015−16年に受けたアドバンスロルファーのトレーニングを受けてから。それまではただひたすらに生に向けたセッションを行っていました。その時期にセッションの幅が拡がりました。
1つは、トレーニングのインストラクターであったRayの影響が大きいです。何度か見直しているトレーニングでは、目で見えないものを見る、そんなトレーニングだった気がします。こじつけですがレイという名前、日本語だと霊という言葉もあるし、霊的な要素にも知覚が広がり、生と死も扱うようになった気がします。
プライベートでも近親者の介護、死を経験し、自分の範囲が拡がった、そんな時期です。またrayという英単語は、光線、ビームという意味もあります。クライアントと親和性があると、ビームのようなワーク(手で触れないワーク)が突如出来るようになったのもこの時期です。(きっと何か関係あるのでしょうね。)
人の嗜好や傾向は、その現実と出会うと刻々と変化していくものですね。そして環境やあり方も変わっていきます。そして不思議なことに本人にはその変化がよく分からないのです。
殆どの宗教もアートも、全体性に向いていて、そしてボディという文脈も、そして人間存在自体が全体性に向いているのは間違いなさそうです。我々一人一人が、自分に関して全体を捉え始めている、覚醒してきている時代だと思います。
瀬戸内の豊島が舞台の「アニミタス(ささやきの森)」とイスラエルの死海を舞台とした「アニミタス(死せる母たち)」のふたつの映像作品。フロアに敷かれた草花と共に展覧。
ANIMITAS (LA FORÊT DES MURMURES), JAPAN. 《アニミタス(ささやきの森)》、日本 2016年 展示風景、エスパス ルイ・ヴィトン 東京、2019年 フルHDビデオ、カラー、音声12時間52分21秒 Exhibition view at Espace Louis Vuitton Tokyo, 2019 Full HD video, colour, sound - 12 hours 52 min 21 seconds Courtesy of the Fondation Louis Vuitton Photo: Jérémie Souteyrat © Adagp, Paris 2019