友人、知人に様々な乗り物の運転手の方が何人かいます。彼らの語る運転に対する意識、責任や使命感には、いつも感服させられます。
最近、車の自動運転技術のことが話題になることが多いですが、自動運転は、新幹線や航空機では既に導入された技術で、自動車という乗り物に採用されるということで、社会的なインパクトが大きいのだと思います。
しかし、よく考えてみると、我々も自動運転されているようなものなのかもしれません。何に?というと、例えば常識とかルールとかいうもので、その人の経験や好み、空気感、流行とかが多少の方向性を変えているだけなのかも。
その下敷きには、良識とか、民族、文化的な枠、その下には、人としてとか、人間としてとか、生き物としてとか、入ってくるのかも知れませんね。大抵は無意識化されていますが、無意識下から、様々な声で、我々の行動を支えます。
そして関係性という人的な環境も自動運転に加わるのでしょう。
今誕生しつつある、新しい自動運転とでも読んでみましょうか、人間が作り出したテクノロジー、AIやIoTが進化し、その中に委ねるのは、何だか少し怖いような気もしますが、文明の方向性は、一元化し、ゆるいルールの元の、個人化、自動運転化という方向へ向かっているような気がします。
そういう中では、個人の在り方も、時代と共にこれまでとは変わっていくのでしょうね。何を自動運転に任せ、何を自分の判断に任せていくのか。環境化されつつある新しい自動運転装置を感じながら、古い自動運転装置も参照にしながら、自分の、「今、ここ」に、気づいて、感じて、考えて、行動していきたいと思います。
さて写真は、昨年、免許を取った娘が運転する車に初めて乗った時のものです。家族で動く時は、僕がいつも運転だったので、運転される不思議な心境を感じました。自動運転。この気持ちは全国のお父さんと分かち合いたいと思います、笑。