こんばんは。
何年ぶりかに伊勢神宮へ行ってきました。今回は、コロナ騒動の最中、空いていて、ゆっくりと見れました。
伊勢神宮のような場所、あるいは同等の自然深い場所に行くと、普段と違う知覚が動き出し、体が何かを感じているのが分かります。それは「ピリピリ」だったり、「ピリッじんわり」だったり、色々あります。
今回同行した方も、ピリピリ感じれる方だったので、ここピリピリ感じるとか、ここはジリジリとか、語り合いながら、普段感じない知覚を活性化しながら過ごしてきました。神社という場の力。身体の感じる力。それらが出会う場で生まれているやり取り。自然と身体の関係性が醸すものに出会えます。素敵な時間でした。
素敵な時間というのは、なかなか文字にすることが出来ません。感じることの大切さに気がついたら、生きていることに危機感を感じたら、こうした場に足を運んで見て下さい。今の自分が映る場であると思います。
セッションに臨むと、僕の知覚にも色々なものが映ります。セッションで、僕が何かを感じ、本質的なことがわかるのは、目で見える構造、あるいは身体の癖やパターンだけでなく、そうした「自分」の知覚の影に隠れているものを感じて、対話の中でイメージや言語になり、何かがにしてお伝えしているからだと思います。
どうやってわかるかというと、あるものは身体構造に、あるものは機能や動きに、あるものは言動に、あるものはその人の周りの雰囲気や気配に、ロルフィングでもキネスフィアと言われる身体の雰囲気を読み取る技術がありますが、今はそれを超えて、色々なものが雰囲気として伝わってきますので、対話的な手法でその方の暗在系(無意識になっていること)のメッセージを意識に伝えている感じだと思います。
私たち生きていますから、感じたり、流れている感覚の方が、読んだり、学ぶよりも深い知覚です。テクノロジーが進み、段々と使わなくなってきた身体的な感性ですが、自らの感受性が身体には色々と備わっていることは、縁あった方に伝えていきたいと思います。
知覚体系は、千差万別、感じにくい人とか、感じないようにしている人とか、色々な方がいらっしゃいます。その一方で過剰に感じ取ってしまう方達がいらっしゃいます。ざっくりいうと、この過度に感じる方、それから過度に感じなくなっている方、両方のケアをしているような気がします。知覚をニュートラルにする、そんなことを、やっているのだと思います。
さて伊勢神宮を紹介する映像は色々ありますがこれは結構素敵です。また、写真は伊雑宮という少し奥にある伊勢神宮管轄の神社です。静かに参拝出来る素敵な場所です。