先日、友人から父親の介護の話を聞いた時に思い出した父親。一昨年綴ったセルフドキュメンタリー映画で、亡くなった父に関して触れ、絶縁のようだった父の魂との再会はここ数年ずっと続いていました。
村上春樹が父親と20年も絶縁状態だったということが話題になっているという記事を読み、興味深く思っていました。(僕も自粛期間に読んでみようと思います。)
こんなことが書いてありました。
父親が90才で2008年に亡くなる少し前、村上さんは入院先を見舞った。
《そこで父と僕は──彼の人生の最期の、ほんの短い期間ではあったけれど──
ぎこちない会話を交わし、和解のようなことをおこなった》
そして、今回書き起こすことにより、
父親の歴史を紐解いていくことにより、記憶違いに気づき、
ひとつ重しが取れたような感覚があったそうです。
同じような経験が僕にもあります。
父が病気で亡くなる三日前でしょうか。父と二人で話す機会がありました。
沈黙した時間がしばし流れ、短い言葉のやりとりをしました。
父は翌日意識を無くしていますので、あの日の会話が父との最後の会話だったと思います。
あの時の僕はまだ歳若く、和解のようなことは出来ずに、その蟠りはその後の僕を縛り続けていましたが、50代に入り自分の映画の中で扱った事により、ようやく和解のようなことが出来たような気がします。
深い部分の自分と出会う統合セッションのコースを一昨年始めてから、亡くなった人との対話というテーマのシリーズが増えてきた気がします。潜在意識には、死者の魂が書き込まれているのですね。亡くなった人との邂逅の場に、何度も立ち合わせて貰いました。
対話の時代と言われ久しいですが、死者との対話という機会は、自分だけでは、なかなか難しいのかも知れません。親を始め亡き人の魂と未消化のままにしてある方は、世の中には意外に多いのかも知れないと思いました。
死者との再会というのは、ほろ苦いものですが、色々と気づきや示唆があるものです。凍ついていた感情の綻びが繕うことが出来ると、自分として次の展望が見えてくることがあります。
アフターコロナの仕事の在り方を色々思いを巡らせていると、父が昔語っていた沢山の言葉一つ一つが鮮やかに蘇ります。
また村上春樹の本を読んでから書いてみたいと思います。