こんにちは。今日は、ゆるモードで書いてみたいと思います。集中も大事ですが、分散も大事です。どちらか1つのモードだとバランスを崩します。シリアス過ぎるのも健康にはよくないですね。
さて、クライアントから映画のご紹介のメールが入りました。エドガーケーシーの映画でした。小学生時代から知っている有名なリーディングをする療法家です。
どんな人生を送ったのか興味が出て、調べてみると実に興味深い、(NPO法人、日本エドガー・ケーシーセンター→)
こんな感じです。
22年間ケイシーはこの透視能力をもっぱら病人の治療に役立てた。彼のもとにはさまざまな病気に苦しむ人々が訪れるようになった。病気の原因とその治療法を教え続けた。当時の医学において不治あるいは難病の真の原因を明らかにし、治癒させるに必要なさまざまな方法をアドバイスした。
46才になると、その透視能力はあらゆる分野に向けられるようになった。科学者、アーティスト、政治家、政治家にそれぞれのインスピレーションを与えるようになり、「フィジカル・リーディング」だけでなく、ホロスコープが解読含めた「ライフ・リーディング」の依頼が来るようになった。
どこかで聞いたようなストーリーです。
そう言えば、僕もロルフィングも「ボディリーディング」に始まり、身体をニュートラルにすることにより、自然調整力、自然治癒力を高め、病院でも改善しなかった様々な症状を改善してきました。ある時から、ビジネス、アーティスト、スポーツ選手、経営者などがクライアントに加わり出しはじめました。次第に身体だけでなく、生活やライフスタイルや人生の危機に対する気づき(アウェアネス)のセッション依頼が来るようになり、「10シリーズ」に加え、「アウェアネスコース」、「リボーンコース」を誕生させました。
偶然の一致に驚きながら、やはり、体や心と真摯に向かい合っていると同じような道を進むのでしょうか。
うーん、その後のケーシーの人生が気になり、読み進めてみました。
ケーシーは、この後、自らの伝記を出版しました。そして全米から依頼が殺到しました。
そして多忙の中、体を壊し、ケイシーは、自らの健康よりも苦しみにある人々に奉仕することを望み、1944年秋、卒中で倒れ、1945年1月3日帰らぬ人となった。また病院や研究所の設立も行いましたが、資金難により解散したようです。ケーシーがその後有名になったのはケーシーの死後、長年の秘書であったグラディス・デイビスの尽力により纏められ、世界中の人々の関心を集めるようになったとあります。
素晴らしい人生です。
そして驚きです。
さて、その後の僕ですが、4年前予約が殺到し、また様々な可能性が目の前にひらき、多忙で我を忘れ、体(と心)を壊しました。
その時、僕はどうしたのか。
僕は集中しすぎていた意識を分散させることを始めました。無意識です。
仕事量を1/3に減らし、家族と過ごす時間、旅、旧友を訪ねる、映画を作り、ギターを弾き始め、曲を作り、絵を描き、鳥や植物と関係性を取り戻しました。思いつく様々なことを、全てやってみました。
仕事以外のことにも意識を向け、分散するような時間を増やすことを選びました。
結果ですか?
その結果は、もう少し先に感じていきたいと思っています。