先日「異界」の話をクライアントとしてまして、帰り道、そういえば昔読んだ本を思い出しました。家に帰って、書斎を探してみると、あった!これだ。。
「異界探報」。
この本の序文にこんなことが書いてあります。
「人間が一番知らない異界がどこにあるかというと、アマゾンや南極の奥地ではなく、自分自身の無意識だ。自分の中の宇宙である無意識には、人間は無関心、無知のままである。」
「無意識の領域である異界は、神と人、自然と人間、生と死の間に横たわっている暑い壁が、かげろうのように消えてしまう。壁を作っているのは、人間の表層意識に過ぎないからだ。憂風の記憶も地球の記憶も、人間の記憶も、全て無意識に蓄積されている。その無意識の領域を探報することなく、極めて狭く、嘘っぺらな表層意識で物事の価値判断を下すことほど空しいことはない。」
本当にそう思います。
身体を手掛かりに、自分の意識から自分の無意識を探っていくというセッションを始めて何年にもなりますが、深いセッションになると、意識と無意識との邂逅が起こり、意識と無意識が繋がって、何かしらの光的なるものと出会う事になります。身体はそんな可能性に満ちたメディアなのだと思います。
異界に興味が出る時、それはあなた自身、変容が必要な時かも知れません。
或いはシンクロニシティで、必要な時にそんな場に引き寄せられる、そんな方もいるのでしょう。
興味深いです。
3月に行った伊雑宮(→いざわのみや)にも異界への入り口が広がっていました。
それは「ピリピリ」だったり、「ピリッじんわり」だったり、色々ありますが、その場所に行かないと感じられないものです。この時は、感覚の優れた方と一緒だったので、さらに感じられた気がします。
「異界探報」
日本を代表する比較宗教学者 町田宗鳳さんが、異界という日本人特有の精神風土や、自然と交流することで得る癒しや、心を育む効用について、宗教学、比較文明論、生命倫理学をもとに解き明かす。
パワースポットの最深部には、異界への扉があり、自然の奥深くには日常とかけ離れた異界がある。
縄文以来、日本列島の住人は自然の霊力を崇め、自然に育まれて生きてきた。異界の扉から、非日常的な日本人古来の精神世界を探訪し、現代をより良く生きる力を探る。
霊山、巨石、森、滝、洞窟、古墳、全国の異界への扉をめぐり、霊界と交流、世界でも類を見ない日本人のユニークな宗教観の本質を追究。
第一章 山の記憶
第二章 岩の記憶
第三章 洞窟の記憶
第四章 水の記憶
第五章 火の記憶
第六章 神社の記憶
第七章 古寺の記憶
第八章 前世の記憶
第九章 異界から来た男