千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物を訪れて来ました。日本の歴史・文化の流れの中から重要なテーマを選び、生活史に重点をおいて構成しています。実物資料や複製資料、復元模型なども多く、眺めているだけでも楽しめました。
ネット時代になり、情報の流通が爆発的に増えた現在の情報化した生活環境に置いて、自分が今どこにいて、何をしているのか。どこへ向かっているのか。
よくわからなくなっている人が多いです。自分軸が大切だと言われる時代、軸となることを立体的に捉えるためにも歴史的な見地が入るとより、軸が明確化していくのではないでしょうか。
歴史に学ぶこと。歴史的な事実だけでなく、歴史に現れる人間の行い、発想の中に今の自分の生活の在り方を再確認できるよい場所だと思いました。またこういう場所はデジタル情報化されたコンテンツを読み解く生活や動きの中での文脈を多く発見できる気がしました。どうしても一元的な意味に我々は囚われやすくなっているのだと思います。日本人の持っていた生活の工夫や美意識の蓄積の中には、まだまだたくさんの在り方の可能性を感じてやみません。動きという身体性の展開は、動的な理解も伴って、多くの気づきも与えてくれるもの。他の時代の人の動き、人の生活の中にある発想や意図に触れることは、今、ここにある自分自身の統合的な理解にも繋がる気がします。
ロルフィングは体に関する統合的な知性でもあります。頭で考えた知性ではなくて、知覚や身体知性で体現をしていくこと。体現的な理解は、言語的な理解を超えて、自分自身について教えてくれます。頭の中だけで現実は動いていかないのだと思います。例えば新しい身体軸の発見は、どんな言語的な理解を超えて、「今ここ」にあるという体感の知覚を呼び起こし、身体的な気づきが起こってくるダイナミックな体験だと言えるのです。
昨日は朝9時から夜23時までずっと仕事でした。忙しい日でした。忙しいと言っても、ロルファーですのでバタバタと急いてやるわけではなく、お一人お一人と同じペースで、向かい合っていします。それだけ時間がかかります。
これは制作者の忙しさとは少し違います。制作者時代の忙しい時は、複数の仕事を同時に進めていて、アイデアレベル、進行レベルなど、体とは別の時間(次元)に入り、身体性を超えて仕事をしていました。
俗にいうゾーンに入るような感じだと気がつくと36時間くらい経過していたりします。身体性を失っている時に僕が身体性を取り戻していたのは、ヨガやプールでの時間です。頭の中だけの自分を体の自分を取り戻すことを、無意識的にしていたのでしょう。
ヨガだけに止まらず、ピラティスやズンバ、budokon、バレトン(ご存知の方いらっしゃいますか、笑)などフィットネスクラブにハマり出し、それ以外にそれまでやっていたテニスやサルサも続けていたわけです。それだけ体を忙しい状態にしてバランスが取れていたわけですから、それまで相当忙しかったのでしょう。起業以来ずっと忙しかったので気がつきませんでした。もし運動してなかったら病院行きだったのかもしれません、笑。
ハードな仕事と運動で、バランスをどうにかとっていましたが、やがて体に支障がで出して、それが後にロルフィングを受けることに繋がり、結果的にロルファーになることになるわけです。
「忙しい」という字は、心を亡くすと書きます。忙しいと、時にそれを処理するのに一生懸命になり、そして心を亡くしています。しかもそのことに気がつきにくくなっています。一生懸命になり取り組むことは、体力や許容力があれば、頭をぶつけながらでも次への人は生まれ変わっていくことが出来るとは思いますが、痛い思いもしながらなので、可能な人は、忙しさを連ねていくよりは、必要な集中力と、目の前の人、周りの人と協調しながら、自分らしさを出していけると自分に優しいなと今の僕は思います。今どきはこっちが主流なのでしょうか、笑。
頑張りすぎない自分モードは結局ロルファーになってから出来てきました、いや、ロルファーになっても制作のペースでしたね、最近ようやく頑張りすぎないモードが出来るようになりました、笑。自分を変えるのは難しいですね。(歌詞を書き換える)
さて忙しさに止まらない為に、色々なこと始めています。箱根もその一つです。
ロルフィングを扱っている本はあまり多くないですが、これもその一冊です。ロルフィングだけでなくて、オルタナティブな側面から健康について色々なインタビューが載っています。
「健康って?」 よしもとばなな
古今東西100以上の健康法を体験した著者が見つけた健康の極意。
そして、身体のプロフェッショナルから引き出した健康の正体とは?
『私は体が弱く、心も強くなく、いつも健康にあこがれて暮らしてきた。しかし、あまりにもいろんな取り組みをしてきたために、いつのまにか初対面の人に「健康そうですね」と言われるような人になってしまった。様々な経緯を経てきて「人生は変えられる」と私は確信している。』
タイマッサージ、カイロ、整体、ロルフィング、チネイザン、ホメオパス、フラ、腸内洗浄、尿飲、ピュアシナジーetc…。ありとあらゆる健康法を試してきた、健康オタクの著者。信頼できる身体のプロフェッショナルたちとの対話を通して、ついに健康の正体と極意に辿り着いた!心身から底力がわきあがり、日常が輝き出す体作りのヒントが満載。著者の友人で、余命2週間の末期癌と宣告されながら、希望の光だけを見つめ、奇跡の中で生き続けている女性の手記も収録。家族や友達を支えるために、こんな時代に大切なのは、丈夫な自分の体と心。この1冊が、あなたの体と心を強くしてくれます。
「三菱一号館」は英国人建築家ジョサイア・コンドルによって設計された、明治初期の洋風建築。全館に19世紀後半の英国で流行したクイーン・アン様式が用いられています。この建物は老朽化のために解体されましたが、2010年春、三菱一号館美術館として生まれ変わりました。庭園とカフェの風景が美しい都心のオアシスの一つです。平日昼間でも多くの人が訪れていました。ご婦人方のグループと、それからご夫婦が多いですね。
使い捨てではなく、あるものを生かす発想。これからの日本で大事なことだと思います。この美術館では階段部の手すりの石材など、保存されていた部材を一部建物内部に再利用、意匠や部材だけではなく、製造方法や建築技術まで忠実に再現していました。美術品と同じくらい建物が見所でもある美術館です。
そこから歩いて数分、場所は変わって東京大学・インターメディアテク『IMT』。
IMTは、日本郵便株式会社と東京大学総合研究博物館が協働で運営をおこなう公共貢献施設で、丸の内の KITTEの中にあります。こちらも昭和モダニズムを代表する歴史建築として知られていたビルです。
各種の表現メディアを架橋することで新しい文化の創造につなげる「間メディア実験館」という。東京大学が1877(明治10)年の開学以来、蓄積してきた学術標本や研究資料など、「学術文化財」と呼ばれるものの常設展示で、歴史的な遺産を、現代の都市空間のなかで再生させるデザイン技術にて無料で展示されています。
今回目を引いたのは、空襲でどれだけ東京が消失したかを示す東京消失地図(ネットにありました→地図)。東京の街はほとんど焼け野原だったんだなーと驚愕しました。それはまだ72年前のことなんですね、と2度驚愕。破壊の後の創造、再生、発展って素晴らしいな。昔の建物を手入れしていけば、今の街にもオアシスになる素敵な在り方ができますね。
古代インドだと、ここからシバ神がでて来て破壊して行くわけですが、21世紀の我々は、「共生」の神様と共に、共存の街を作って行けると良いですね。(ミサイルが飛んでいて危なっかしい世の中ですが、しっかりといい関係性を作っていきたいところです。)
さて、繋げていくのは、身体では筋膜。街では我々人間。しっかりと、いい関係性を作り、社会を繋いでいきたいところです。共に生きる。メンテナンスという発想があれば、関係が再構築されて、身体も街も、新しい在り方にリニューアルされていきます。再生技術は、医療や顕微鏡の中だけでなく、我々の生活や仕事、生き方、在り方なのかも知れません。
アイソレーションタンクとのコラボイベント盛況のうちに終わりました。ご参加の方、ありがとうございます。
僕が行うボディワークでは、参加者の方、それぞれと、いいセッション(掛け合い)ができることを考えて行っています。やはりタンクはソロで入るリラクゼーションですので、ボディワークの対話方式である良さを伝えていきたいと思っています。
ロルフィングではセッションと呼んでいます。施術者が一方的に何かを行うのではなくて、身体と対話しながら、時に言葉で確認しながら進めていきます。双方向であることが特徴です。
この対話(ダイアローグ)で出来ること、可能性を伝えていきたいと思っています。
前回も行いましたが、セッション後のシェア会も実施予定です。
これまでの自分でのアイソレーションタンク体験での変性意識状態。知覚の変容。それからこのコラボイベントを通じて感じたこと、思ったこと。たくさんあります。またタンクに関しては、一度サロンオーナーの霧城さんとも、体について、変性意識について、突っ込んで、対話したいと思っています。
その辺りまた参加された方を含め、一度シェアする機会をやってみたいと思います。前回は、忘年お茶会みたいな感じでしたが、次回は、ロルフィングの体の体験ムーブメント含めて行ってみたいと思いますので、このコラボに興味がある方は、別途ご案内しますので、是非お越しいただければ幸いです。
さて個人セッションもこの時期は増えていて、少し忙しくなって来ています。ブログ更新も滞りがちですが、随時更新していきますのでよろしくお願いします。
先日も書きましたが、引き続き、忙しさとリラクゼーションに関して、今週も箱根にいきますので、箱根時間に考えてみたいと思います。
最近、夜な夜なピアノの練習をしています。ロルファーになって手の使い方がすっかりボディワーカーのタッチになってしまったのを、少し違う使い方をして手をリラックスさせようと思いました。久しぶりのピアノです。
思えば結婚当初に家で過ごす時間が増えた時に手持ち無沙汰になって始めたのが最初で30の手習いでした。その時に買ったのがこの「大人のためのバイエル」。その時まで全く弾いたことのないピアノで、両手別の旋律を引くなんて出来るかい!と思っていたが、妻の手ほどきの中、8ヶ月も経過すると、不思議と少し弾けるように。この本はそんなほろ苦い懐かしの教本です。発表会もしました。
いわゆるバイエルピアノ教本は、ピアノを学ぶ者に最適な入門書として日本で長く親しまれていた。(最近はあまり使われないらしい。)この本は、赤と青の二冊だったのを、抜粋してあり、懐かしく、かつ効果的に弾き進められる良書です。
基礎的なことしっかりやっておくとのびしろが出来てという意味で、運動するときは、ロルフィングを受けて、基本的な体の動きに関してニュートラルな体になってからスポーツや身体技法に取り組んだ方が痛め難い体だと言えます。まさにおとなのためのバイエルのようなものです。
ロルファーになって、楽器演奏の方も、毎年何名かセッションさせて頂いた。ピアニスト、ビオラ奏者、エレクトーン奏者の方、等等。演奏姿勢と上肢の使い方、パームの知覚、発声法(頭声、胸郭の響き)など体に関する多岐に渡るセッション、示唆を取り組んだのを覚えています。確かロルフィング紹介ビデオにもあったと思うので下にリンクしておきます。
さて僕のピアノはいつまで続くでしょうか。
本当の自分。意識的によく考えると難しい。
自分が自分だとしているものだってどこまで自分自身かわからない。カウンセラー吉福伸逸氏さんの著書にこんな風に書いてあった。「僕のセミナーに来ると、みんな離婚してしまう」と、笑。
それくらい自分自身を追求していくと、或いは自分自身を知ると、今の現実は、本来の自分ではない現実を自分として生活していることも多いのかもしれない。或いは本質をみることは怖いこととして、見ないふりをして安心感に寄りかかっているのかもしれない。
さて体を統合するセッションを提供している。
体にもその人本来の体、その人本来の姿勢、動きというのがある。でもその本来の姿勢、動きとは違う動きや姿勢をしすぎてしまうと違和感や病気になっていくのだと思う。僕らは、その本来を探して、まず構造や機能を見ながら、人間の体としての基本に体を再構築していく。その過程で自然な動き、楽な姿勢を取り戻していく。決して治しているのではなく、体が全部一つであること。一つ動くときに出てくる潜在力を引き出してくる。
ロルファーがしていることは、体と重力を出会わせること。
本当の体に出会ったあなたは、それからどういう姿勢で、どういう動きをしていきますか?
今日は休日である。石けん作りの講座をされているSさん、それから幼馴染のアーティストHさんと表参道のBACCHUSで、乾杯ならぬランチを取る。Bacchusはローマ神話のワインの神である。ワインを飲みたいところではあるが今日はランチ会。
世の中作るものは色々ある。クライアントと話していても、皆さん本当に様々な趣味をお持ちである。陶芸、アクセサリー作り、おかし作り、フラワーアレンジメント、など実に様々だ。色彩や素材、デザイン、ディテールへのこだわりや触感、個性が現れるところだ。僕は作ることへの興味は人一倍あるものの、こうしたモノ作りは、からっきしダメで、家族旅行でも、仕上がりはどう見てもいつも最下位である。やっぱり何か動くこと。そしてセッションで、人間の体のニュートラルを作るくらいがいいのかもしれません。
今日お会いした先生は石けん作り。石鹸作り、キウイフルーツや酒粕を練りこんだもの。天然素材や抽出したハーブを入れたものなど実に様々だ。確かに興味深く、女性が好きそうだ。ものを作るというのは創造力を使う行為である。誰でも1つ、2つ何かを作ることをしている方がいい。仕事とは違うモードの自分を作ることは、既存の生活や仕事のルーチンから抜け出せるきっかけになる。さて石けん作り、興味がある人がいたら、連絡下さい。何人か集まればプライベートでも講座を開いてくれるそうです。
お土産にプロリハナのハーブだけで作ったキャステール石けんを一つ頂いた。
石けんで思い出したが、肌がキレイだとよく言われる。「何かしているのですか?」と。
特にケアみたいなことは何もしてなくて、キレイな水を飲むこととロルフィングくらいですかね。筋膜はコラーゲンがエラスチンで編んであるような組織なので、セッションするだけでも何か肌に良いのかもしれません。初公開、手の写真です。(ちょうど帰宅した娘に写真撮って貰いました)
さて今日はのんびり休日です、夜はbacchusにしましょうか(^ ^)
昨日のセッションは深かった。
半分、体に触れないセッションでした。
(触れることについて、人間のボディについてはまた別の機会に書きますので今日のところは、?(ハテナ)の部分はそのままでお読みください)
たまにそういう深いセッションに出会うと様々な不思議なことが起こります。顕在意識から深く潜在意識に入っていくと様々なものに出会います。
言語的な体験を超えていますので、言語で解説するのが難しいですが、体の中の流動性や、身体のイメージそのものに触れていくようなセッションも起こります。この場合、もはや物理的な体には触れていなくて、場やエネルギー状態、あるいは、流れのある体(fluid body)に触れていく場合もあります。
あるいは、その人がブロックしているものや、トラウマとしているもの自体に身体的に出会いっていくことさえあります。
経験ない人が聞くと、こういう説明自体、意味不明だと思いますが、身体という多元の文脈の中だと、このようなことも起こり得るのが身体の面白いところです。荒川修作ではないけれど、知覚の降り立つ場、それが身体ですね。
知覚を変容することが出来るので、例えばある種の奇異体験や無意識下にあるイメージの領域へのワークも可能です。しかし、ただそうした変性心理、変性意識状態での変性知覚をしていくことがロルフィングの目的ではありませんので、それを目的としたワークは行いません。ロルフィングの目的は、以前書いた通り(ロルフィングで行っていること)ですので、しっかりとしたサポートや調和をその人自身で完了させていくことを行います。だからプロセスをみながら10回のシリーズで受ける必要があるのです。人間存在は、頭で考えているような単純なものではなく、有機的で、多次元的なものだということです。治った!とか意識が一時的に感じる変化ではなくて、有機的、多元的な意味でのシフトを目指しています。より自分という存在になるために。そのことに気がつくために行っているのがロルフィング10シリーズです。
僕のするセッションは、色々なレベルで行っています。なぜ色々なレベルで行うかというとそれは、クライアントひとりひとりの知覚が違うためです。どんな生活、どんな生き方、どんな感覚を持って現実を生きているか、それはその人ごと違います。言語的な在り方、いい悪いという、2元で判断できないのが我々人間という存在です。常に知覚と共にある種の対話のような時間がセッションです。
さて知覚のグラデーションを意識が認識するときに、脳はそれに白黒をつけたがります。グレーみたいな在り方を嫌がるのが意識ですから、よくわからない体験には脳が困惑する場合もあります。脳は変化を嫌がるのです。脳が困惑しない方法で介入していくわけですが、自分で色付けされる方もいるし、白黒はっきりさせるように僕に迫る方もいます。あるいは見ないふりをする方もいます。そんな時に僕がすることは、そのグレーみたいなものに現れる色を見つけてあげることもつけることもします。パステルカラーもカワイイし、キラキラ輝くスターライトも人によっては出てきます。人によっては匂いや視覚の変容で表現されるような、新しい知覚さえグレーの中から現れます。この色は僕が用意するものではなくて、その人の中に最初からあるものです。
本当に不思議なことですが、ロルフィングセッションにおける身体の臨在性は、体の中を流れていく気やエネルギー、スシュムナーに電流が走り、クンダリーニや、チャクラが全部開いていくような自分が360度開くようなことさえ、起きることがある可能性を持ったセッションであることを一度ブログでも書いておきます。
クライアントの何に触っていくのか。どのボディに触れていくのか。その人の今に必要なロルフィングをしています。10シリーズという限られた期間(切り閉じ)での、今のあなたの、ベストショットで、シャッターを押していきたいと思います。
感じたことのない新しいあなたに。
自分の形は、自分ではよく分からない。近すぎて、その全体像がよく分からない。
自分が在ること。それを感じよう。それは自分にしか出来ないこと。
自分を知るには、少し離れて自分を見ている身近の他人を見ればいい。その鏡に映るのは自分自身。
この葉は、なんの木だか、わかりますか?
これはメタセコイアの葉っぱです。メタセコイアはヒノキ科の針葉樹で背が高く、常緑種のセコイアに似た落葉種。メタは「変わった」という意味で、ちょうど僕らしい、笑。
僕の実家近くに在る川崎市の生田緑地。岡本太郎美術館へ向かうメタセコイアの林一帯の場の雰囲気が素晴らしく、時々訪れる。近くの奥の池、周りの森と合わせた雰囲気、鳥の声、森の香り、虫の声、などがなんとも言えない全体性を発揮していました。
渋谷に住んでそろそろ15年になりますが、この生田緑地の場の持つ空気感はなかなか都心では味わえない気がします。生まれ故郷は、離れてみないとその良さは分からないと言いますね、緑も川もあるこの場所に生まれ育ったことを嬉しく思います。
場の持つ力は意識されてない感覚も含め環境として我々に大きく影響しています。多元的な存在である我々人間は、人間関係とかデジタルな環境とかにどっぷり使ってしまうと、どうにも現実感がずれてきてしまうものです。書を捨て街に行こう!のごとく、今時は、スマホを捨てて森に行こう!ボディワーカーはそういう風に思います。この世の中の真実は、文字や写真だけではなかなか分かりません。
人間の体は多元的な存在です。ロルフィングでは、重力や空間と調和した体が体現してくると、頭の世界に住んでいる人ほど、リアルな体感が戻ってきて素直な人ほどびっくりします。自分の体が急遽リアルになり、まるで別の世界に来たように感じる人もいます。逆にびっくりしないほどに頭の世界にどっぷり安住している人も中もいます。自分がどれだけ頭の世界に住んでいるのか調べるだけでもロルフィングを受ける価値があると僕は思います。
人間は、ひとりひとり、どの世界に生きるのか、自分で決めているのだけど、なんとなく生きているとそのことにさえ気がつきません。自分が作った世界(例えば人間関係とか、お金の世界とか、)から抜け出せなくて、苦しんでしまうことが多々あるかもしれません。そんな時に一度体が感じている別の世界を感じてみると、今まで当たり前に思っていたことから抜け出す、或いは色々なことを考え直すことが聞きますね。
今一度体の今を感じて、記号やイメージ、そして言葉。から脱して、心と体の原点に戻ってみたい。そんな時には是非、お越しください。心と身体あって、生きている我々人間です。身体性に生きる自分自身を感じ直すことは、生きている限り重要なことです。
さて、滋賀県高島市のメタセコイア並木が日本紅葉の名所100選に選定されているそうです。いつか訪れようと思います。
小さい時から大のおばあちゃん子で、話好きなおばあちゃんと会うと、ついつい長話をしてしまう。
午後の打ち合わせを前に昼食をとる為に入った定食屋さん。この店はおばあちゃんの一人営業らしい。心地よい広さのカウンター席に座り、ランチメニュyーの中にあった生姜焼き定食を頼む。
食事が終わりそうになる頃、片付け作業を終えていたおばあちゃんが話しかけてきた。
話を聞くところ、店を始めて54年、御年85才らしい。創業時の苦労の話に始まり、若い頃のモテ話、そして今でも毎週通うプールの話。
長くからの友人が皆入院中のこと、娘や孫とのやりとりの話、体が柔らかいので、前屈で手が床につく話。(実際にやってくれた)、
でもねー来年で辞めようかなって思っているんだ、もういいかなーって思って。。。という、いつの間にかの身の上話。
そういえば、お兄さんは仕事何やってるのさ?
まー動きやすい体つくり、人の健康を引き出す仕事だよ。
と、持っていた自分のパンフレットを渡した。
へーそうかい、体が悪くなったらお兄さんのところ行ってあげたいけど、残念 定期検診を受けているけど、私、どこも悪くないんだよー、笑。 残念だなーと屈託のない笑顔。
この店はきっと昔流行っていたんだろうな、
この人の話を聞くために沢山人が集まっていたんだろうな。
「うちの常連さんはみんな出世して偉くなってしまってさー、頭取とか、支配人とか。爺さんばっかり、笑
「みんなたまに寄ってくれるんだけどねー、」なんて話が弾み、気がつくと、小一時間、長居してしまった。
会計を済まし店を出て、少し歩いてたら電話かかってきた。
誰だろうか、知らない人からの電話だ。
電話に出るとさっきのおばあちゃん。
「お兄さん、忘れ物!!」、
僕は紙袋を忘れたことに気がついた。
「すいません、ああ、すぐに取りに行きますー。」
僕は小走りに店の方へ戻って行った。
店のそばまで戻ると、にっこりしたおばあちゃんが僕の忘れ物を手に走って来た。
85歳のおばあちゃんが走ってくる姿をみたことがあるだろうか?
僕は恐縮になり、「すみません、ありがとうございます。」
僕は忘れ物を受け取り、お礼を言った。
「仕事頑張ってね。」「はい」
なんかドラマみたいだな。。。
そんなこと思いながらおばあちゃんから紙袋を受け取った。
僕はドラマを続けることにした。
ねえ、おばあちゃん、
家から、店までは、自転車で来るって言ってたよね?
「もしも、もしもだよ。」
「店に来る道で自転車で転んだりして、自分では全然気がつかなくて、
次に目が覚めたら気がついたら病院でベッドの上で、
その時にさ、体の自由がきかなくて、わけわからなくて、
もし回りの人に話そうとしても全然わかってくれなくて、病院の先生も全然話のわからない人だったらさ、遠慮なく、今のその番号に電話してね。俺が駆けつけるから。」
「俺はおばあちゃんのわからないことを全部、みんなに説明してあげるから。
俺ね、体のことなら意外となんでも出来るんだよ。」
そう言った。
「あんた、縁起でもないこというねぇ」
「あんたいったい何者なの?」
「ロルファーってんだけど、わからないよね、からだの魔法使いだよ。
さっきの前屈で、おばあちゃんのからだのことはもう何も話さなくてわかるから。
俺が周りの人が分かるように、俺が説明してあげるから。」
おばあちゃんは微笑みながら、「ふーん、わかったよ。そうするよ。」といい、
手を出してきた。
僕はその手をぎゅっと握り、握手をした。
しわくちゃだけど、あったかい手だった。
じゃあね、またね。
手を振って僕は打ち合わせに向かった。
僕の携帯には、名前は知らないが「定食屋おばあちゃん」
という登録が入っている。
僕は打ち合わせに遅刻した。
追記
我がおばあちゃんは、93歳で逝きました。
葬式には出たけど、仕事が忙しく打ち合わせがあった為に火葬場には行けず。
人生最大の後悔です。
その場その場に合わせた自分でばかり現実を対応していませんか?
ある程度は必要です。でもたまにはどこかで素の自分も出しておかないと、どれが自分なんだかわからなくなってしまします。気がつくと全然自分らしくない自分になっていることさえあります。
どの自分が自分だかなんだかわからなくなってしまいます。素の自分の誰かに見せていますか?もしわからなくなってしまったら、姿勢、動きからあなたのニュートラルを感じてみましょう。
日本におけるロルファーのパイオニア幸田さん(幸田良隆氏)と一緒に写した写真がネット上に残ってました。
2011年12月頭頃なのでロルファーになってすぐの頃(6年くらい前)です。パイオニアに会って嬉しそうな僕が写ってます。
ロルファートレーニングは、3つのユニットに分かれています。そのうちユニット2が終わると、外部クライアントへの筋膜施術が可能となります。
最初はレンタルサロンにてセッションを開始しましたが、レンタルでの時間の制限や予約の煩わしさが苦痛になり、安定したセッションを提供したいと思うようになり、探していたところ、幸田さんからの案内があり、当時、大崎にあった幸田さんのセッションルームをシェアさせて頂いていました。レンタルサロンを使用してた頃に比べ常時使える場所が出来たことは格段に安定したセッションが提供できるようになりました。
あの半年間にどれだけセッションをしただろう。そしてロルファー活動まつわる夢や希望を想い馳せていた頃です。短い期間であったけど、セッションルームを提供して頂いたことに感謝です。懐かしいので再掲しておきます。
今思うと僕は、とりあえず出来ることをやってみるタイプだなと思います。石橋を叩かずに渡るタイプだなと改めて思います。途中で叩いたり、やばい!と思ってバタバタ走ったりはしますけど(^-^)
とりあえず、この年まで生きて来たし、結婚し(今年銀婚式)、パパになり(娘は今年大学生)、そして開業した会社は、今年20周年となりました。今年は節目の年です。
ここまで生きてこれたことを、神様に、そして僕と出会ってきた全ての人に感謝しています。
自分がどうしたいのか、よくわからなくなった。そんな時は、体の声を聞いてみたら如何でしょうか。意識が聞く耳を澄ませてみれば、体はあたなに対して様々な声を発しています。ロルフィングはそんな声に耳を澄ます体験かもしれません。
痛みがあるから何かするのではなく、違和感や不快感に対して自分から関わっていこうとする、そんな自分に対する優しさを時に感じてあげてください。人生のターニングポイントにロルフィング。更に特別な体験、次の高レベル何かを求めてくよりは、まずニュートラルな自分の体を感じて行く、そんな自分に対する信頼と勇気を与えてくれるセッションです。
体を触れていて色々思うことあります。パソコンやスマホに合わせられていて、動きが固定していたり、動かし方が単純化されている方、いらっしゃいます。
手の指の動きがカクカクしていたり、腕のコーディネーションが変わっていたり、あと首や目ですかね。
またメールだけでなく、SNSやゲームなどにより、画面を見つめる時間は格段に増えました。
デジタル環境の職場、それに加えてスマホ、体は悲鳴あげているのでしょうね。
ある程度仕方ない点もありますが、そうしたデジタル環境から離れる時間も確保していくこととかできることもあります。我々の体は、デジタルにはできてないし、違う場への移ろい含めて、楽や自由を謳歌できるようにできています。情報から逃れるデジタルデトックスする時間を意識して確保することをお勧めいたします。
散歩したり、ヨガなど軽い運動、いつもと違う通い方、公園など自然の中を歩くなど、手軽にできることも多いと思います。少しづつでも生活に取り入れてください。
人との交流もリラックスに繋がります。いつもと違う人間関係の中に入って自分らしさを発揮するだけでもかなりのリラクゼーションとなります。
参考までに僕の場合ですが、ヨガ、ピラティス、太極拳など週に4、5レッスン。なるべく歩く生活。
意識して緑の多い公園で過ごす。金魚の世話、瞑想や座禅、ピアノ演奏、あたりが日常のリラクゼーションです。
特に座禅は、無料から格安で行われているものが多いので、お勧めします。瞑想はヨガの時にするターダアサナが瞑想代わりです。またセッションで瞑想のようなことをたまに入れます。ボディワーカーなので、ボディフルネス瞑想と名付けました。僕のセッションやレッスンで披露しています。マインドフルネスよりも少しボディ寄りで、同じ瞑想でも統合感が違う気がします。
今日は、かなり当たり前のことを書いていますが、気を抜くとデジタル漬けになっている方も多いので、一度書き置きしておきます。
体の中は基本的にアナログです。