ロルフィングの基本原則の一つがホーリズム(全体性)です。体を全体で1つと捉え、全体に対して働きかけます。ホリスティック医療と言われる所以もその辺りなのかもしれません。どこかだけを特別良くするとか、どこかだけに偏っているものを、身体性の基本に戻していくことにより、本来の身体性に戻っていきます。
他のジャンルにもホリスティック的な考え方のものは世の中に多いですが、ロルフィングが面白いのは、それを身体というフィールドで行なっていることです。自分自身が対象なのです。
これがどういうことかというと、自分自身も 、ホーリズムの中に、変わっていくことになります。自分という世界から独立した視点から世界認識は行われていることが多いですが、そうした視点さえも相対化していくことになります。
体の有り様に、自分が影響されるということです。そしてそれがどういう影響かというと、その人の統合の在り方により、少しづつ変わってきます。そのあたりはクライアントの知覚、クライアントの世界観に依存することになります。
時に身体的な統合、印象、発想的な統合、意識的な統合、心的統合、様々な統合が起こることもあるでしょう。その辺り僕は少し広いスタンスからロルフィングをみています。宇宙にいて地球をそっと包む様な感じで、身体を包み込みます。
自分でもない、他人でもない第3の場所、境界線で踊るダンスの様に、潜在しているものを浮き彫りにして、出会っていきます。
同じ場所から見ていると、視点というのはいつの間にか固定され、そのことに気がつかずに、自分として当たり前になっています。
いつもと違う視点から見てみると、違う状況で見てみると、同じものでも意外な発見があるかもしれません。
また別の魅力が見つかるかもしれませんよ。
コースプログラムの設置に伴い、10シリーズ、アドバンスシリーズ含め、コースプログラムのカード払いが可能になりました。コーススタート前にお支払いをお済ませ下さい。
注意
○セッションルームでの個々のセッションのカード払いは出来ません。
○コース料金の返金は出来ません。
○コースの期間はそれぞれのコースにより異なります。1、2週〜月1で進めて行きます。申し込み2年後まで有効です。途中で怪我や入院することになった場合は他のメニューに変更することが可能です。
積み上げていくことで形をなすもの。
一度で完成しないもの。
世界にはそういうものがたくさんあるし、
我々人間自体、そういうものである様な気がする。
ロルフィングで10シリーズを受けて少しづつ
自分を積み上げていくことは、
自然だし、実に人間らしいワークだなと思う。
野球好きには有名な話かもしれないけど、高校野球を見ていたら、歌に「魔法」の言葉が出てきてびっくり!愛媛県松山市の済美高校の学園歌(画像参照)でした。
ポップスのような校歌ですね。。。
しかし、こういうポップな感覚って大事な気もします。ロルフィングもマニアや特別な人が受けるものでなくて、もっと一般的な人、みんなに受けて欲しいのです。
以前、ロルフィング第3セッションをこういう風に表現したら(→第3セッション)
クライアントに随分ポップなロルファーさんですねーって、言われたのを思い出しました。
仕事でも、コミュニティでも、女子会のような場所に
参加することが多くなりました。
お茶しましょう、、、でも甘いもの頼みますよね。
さて実際に来てみると、自分の食べたいものを頼んだつもりなのに、
こうして比べてみると人のも美味しそうですね。
とりあえず自分の選んだものを頂きましょう。
どうしても他のものが食べたくなったら、
にっこり笑ってシェアを頼んでみましょう。
女子会では当たり前かもしれませんが、
男同士だとシェアはまずしませんね(笑)
長崎に行くと行ったら、3人からアンデルセンに行くの?と言われた。ネット上でそれほどまでに流通しているアンデルセン。
アンデルセンとは何かと言うと長崎にある四次元パーラーの名前で、ネット上で話題の場所である。予約しないと入れない超人気店だ。(詳しく知りたい方は、長崎 アンデルセンでググって見てください。ちなみに、超能力はできないけど、スプーンを曲げたり、無意識を読み取ったり、体を変えたりは僕でもできる、笑。)
長崎では、車を借りて、海岸線に沿って島原半島を巡った。島原は、日本に8箇所ある世界ジオパーク認定の地域の一つ、地球との繋がりを感じられる場所です。地球との繋がりを取り戻す場所、ジオパーク気になっています。
普段車に乗らない僕にとって、運転するのは日常的な体験ではなく、運転するという行為が普通にできる様になるまでには多少のタイムラグがある。それでも無意識にあるイメージと繋がり出すと、運転モードの自分が戻って来る。
昔の記憶は忘れてしまっているわけではなく、潜在してどこかに残っている。ロルフィングで体を統合していると昔の記憶が出てくることがある。統合で出てくる記憶は、その時のその人に必要な記憶で、その人を助けるものだと思う。
戻ってきてまた二人に聞かれた。アンデルセン行きました?
ジオパークとは、「地球・大地(ジオ:Geo)」と「公園(パーク:Park)」とを組み合わせた言葉で、「大地の公園」を意味し、地球(ジオ)を学び、丸ごと楽しむことができる場所をいいます。現在日本には、日本ジオパーク委員会が認定した「日本ジオパーク」が43地域あります(2016年9月現在)。その内、8地域がユネスコ世界ジオパークにも認定されています。
大地(ジオ)の上に広がる、動植物や生態系(エコ)の中で、私たち人(ヒト)は生活し、文化や産業などを築き、歴史を育んでいます。例えば、山や川をよく見て、その成り立ちと仕組みに気づくと、今まで何とも思わなかった景色が変わって見えてくると思います。
目で見て分かる美しい景色、耳を使って聴く温泉の湧き出る音や鳥達のさえずり、香りで分かるその土地の雰囲気、手を使って知る土や石の感触、舌で味わう地元の美味しい料理。など自分の五感+αをフルに活用し、ジオパークおすすめです。こうした全体性を持った自然と出会うと、自分の在り方にも影響を与えることがあります。お近くのジオパーク。探してみませんか?
僕は先週今週と、二週続けてジオパークを訪れました。ちょっと体の自然度が高いがですね、笑。
雲仙温泉郷を中心とした絵で起こした地図です。
福岡があり、そして遠くに大阪、あべのハルカス、もっと向こうにスカイツリーも見えます。いつも東京が中心でない、発想や在り方を示す意味でも、この地図は面白いと思いました。
東京発の情報に依存して自分たち発想を無くしていくのでなく、発信していく在り方情報は、きっと東京の視点で見る観光地ではなく、島原のライフスタイルからみる東京のライフスタイルってどうなのか?刺激となる情報を発信されていくことを期待します。
中央から見た地域という部分ではなく、主体性をもった地方からのライフスタイル情報発信は、自分たち中心主義というよりは、オフィシャルと視点に依存して自分で考えることを失いつつある情報過多社会の東京を大いに刺激してくれることでしょう。
自然体験が自分を切り開いてくれることになる。自然というニュートラルが人間をニュートラルに戻してくれる。ロルフィングは身体構造の統合ですが、人間存在の自然への統合も我々はライフスタイルベースで考えていく方向が良いと思っています。こういう場所でのリトリート的なるもの何か提供できないかなと強く思いました。
島原は、2004年世界ジオパーク認定一号になった場所で、普賢岳の自然と調和した生活や産業、人の暮らしが実現されていました。自然と調和した持続可能な人間の生活や在り方を考える上での大切な示唆がたくさんあり、気づきの宝庫でした。引き続き意識を向けていきたい場所の一つです。島原ではリトリートは必要ないですね。島原は全体性を持った場所で、この場所で生きていること、生活していくことは、ニュートラルな姿勢、知覚、在り方になっているのでしょう。多分フィットネスクラブも、リラクゼーションも、あんまり必要ないんじゃなのでしょうかね。
日本でも世界でも再生するためには、巡礼の旅が行われてきた。様々なコストをかけて日常とは違う時間と空間を過ごし、新しい自分になる。一つ一つの理由や意味を問うのではなく、自分自身との出会いを求めて歩き続ける。
この場合、彷徨うのではなく、やはり巡礼なのであろう。
自分の身体を巡る巡礼のような期間。それが10シリーズのような気がしてきた。早い人だと1ヶ月、ゆっくり巡る人は10ヶ月かけて巡る旅。シリーズが終わる頃には、身体統合という稀有な機会です。
どうぞお試しあれ。
期間限定 体験付き説明会です。(→こちら)
3週に渡り、地方を巡って来た。日本の美しい田園風景、自然、そこに暮らす人々。東京だけで生きていても見えてこない、東京のアングルから外れた時に出会えるものを、見てきた気がします。こういう時間の大切さを改めて感じました。様々なことを感じました。
加工された情報でも、言語でもない、そのものに触れていく。そのことが私たちを自然な方向へ少しシフトしてくれます。出会う不思議。自分を全部使って動くこと。我々もまた大いなる自然の一部で、完璧な存在ではないことを身体情報から意識というアングルに教えて貰える時間です。
思えば、ロルフィングを受けると、気づきがあったり、めまいがしたり、空間認識が変化したり、五感が鮮明になったり、世界が鮮やかに見えたりするのは、頭の中で安定していた知覚をひととき身体ベースに解放しているからです。脳は変化を嫌い、安定を志向します。少し話が飛躍しますが、地方からの視点、地方を巡る旅は、ロルフィングで意識が出会う体への旅と同じような感じなんだなと思いました。自分という世界から離れていけば、目に映る世界はいくらでも鮮やかにすることは出来る。ロルフィングで得られることは、そのことの気づきと体験でもあるんだなと思いました。
たくさん書きたいことがありますが、うまくまとまらないのでまた別の機会に。
話す方が得意なので、笑、もっと聞きたい人はセッション、あるいは体験会に来てください。
新しくできた水族館に行ってきました。巨大水槽を眺めていました。個体で生きるものあり、群で生きるものあり様々です。群の在り方も魚ごとに様々でした。
人間は個体で生きるものでしょうか、群で生きるものでしょうか。群の拘束はどの程度が、自然で適切なものか。自己組織化。生物多様性。自分自身。この水槽の中にいたら自分はどこにいるか。
そんなことを考えながらぼーっと、水槽を眺めていましたら、あっという間に時間が過ぎてました、笑。
巨大水槽の水族館で久しぶりにフェアリーペンギンに会いました。
フェアリーパンギンはペンギンの中では最も小さい種類で体長は約40cm、体重は約1kgくらい。
メルボルンのペンギンパレードを思いだしました。
メルボルンではフェアリーペンギンは明け方に海へ出て、日没後に陸に上がります。
他のペンギンと違って、直立で歩行せずにやや前傾姿勢で歩行します。
最も原始的な種類のペンギンであると考えられているそうです。
今年の夏は色々な海に出会いました。
海。いいですね。
同じ海だけど場所によって全然違う。
全然違う顔、表情。全然違う触感、気配。
その海もその場所と一体になっている。
当たり前だけど、海は今という時間に生きている。だから出会う場所で少しづつ違う。海が全て同じだって決めたのは自分で、本当はいつも、会う場所ごとで違うものだったのかもしれません。
自分と違う時間を生きているものと出会えた時、人は癒されます。その癒しは、また違う自分になれたという原初に生き始めた存在の喜びでもあるのです。
生きていくとは変わり続けること。昔そんなタイトルで書いたのを思い出しました。(→生きていくとは変わり続けること。)
長い間、閉じ込められていたガラスの中の人魚達。外の世界に出たがっています。
思えば大地を謳歌する前の我々は海からやってきたのです。我々の無意識の中には海洋生物時代の経験もたくさん詰まっています。
固体化していた体が緩くなり水のように流れ始めると、その流れにしたがって、人魚達が現れてくることがあります。あなたが経験してきたことの全て、あなたの体と意識の中に残っています。(→何も失われない)
さて、若い頃ふーんと思いながら、それでもこれは本当なんじゃないかと思って読んでいた三木成夫さんの著作。胎生学的な知識は、ボディワーカーになって言語的な理解を超えて体現するようなことが不思議なことではなくなってきています。長い間、人間を縛っていた知、意味の場が崩れ始め、無意識の中にあった意識が世界に解き放たれています。
流動体の体に乗っかって人魚達も時たまやってきています。人魚は、ダンスを踊り始めます。男とか女とか大人とか子供とか関係ありません。この不自由な身体が水に戻る時、あなた自身になって踊るのです。
鏡に映る自分をじっと見る。
見なかったふりせずにちゃんと自分と向かい合う。
人生には、時にそんな機会が必要な時があります。
鏡に映った自分を見ると
自分だけでは気がつけないことがわかります。
自分に合う人、好きな人だけでなく、
鏡になってくれる人、大切に。
無意識にある不安と恐怖が違和感や痛みを作り出すこともあります。どちらも怖いという感情に基づくものですが、不安と恐怖の違いって分かりますか?
不安にある怖さは、「また同じような出来事があっら・・・」の未来形の恐怖なのです。この部分に想像力のスイッチが入ってしまうと、不安はとんでもない化け物を作り上げてしまうことがあります。パニックにも繋がります。そして恐怖は、森田療法によると死の恐怖に繋がるのだそうです。先週臨床宗教師の方に会う機会があり、それ以降、自分に起きた臨死体験を、再び検証し始めています。あの体験がなんだったのか。近いうちまた書きます。
眠りにおちいるまえにおれは恐怖におそわれるのだ。死の恐怖だ、おれは吐きたくなるほど死が恐い、ほんとうにおれは死の恐怖におしひしがれるたび胸がむかついて吐いてしまうのだ。おれが恐い死は、この短い生のあと、何億年も、おれがずっと無意識でゼロで耐えなければならない、ということだ。この世界、この宇宙、そして別の宇宙、それは何億年と存在しつづけるのに、おれはそのあいだずっとゼロなのだ、永遠に! おれはおれの死後の無限の時間の進行をおもうたび恐怖に気絶しそうだ。おれは物理の最初の授業のとき、この宇宙からまっすぐロケットを飛ばした無限の遠くには<無の世界>がある、いいかえれば<なにもない所>にいってしまうのだということを聞かされ、そのロケットが結局はこの宇宙にたどりつくのだ、無限にまっすぐに遠ざかるうちに帰ってくるのだ、というような物理教師の説明のあいだに気絶してしまった。小便やら糞やらにまみれ大声で喚きながら恐怖に気絶してしまったのだ。(大江健三郎)
暑い日が続いていますね。都心は気温以上に不快指数多い気がしますね。ヒートアイランド現象でしょうか、或いは人が多いからでしょうか。
さて今日の打ち合わせは、裸足になって水のせせらぎに足を入れながら、笑。足湯ならぬアシミズでした。ちょっとした工夫でも、涼しさを感じられますね。(→東京ミッドタウンで8月末まで)
最近、夏の終わりのにおいがします。
夜のセッションにいらしたクライアントさんと話してたら、においの話になり、「私は冬のにおいが好き」と聞き、妙な親近感。においの世界というのも奥深いですね。説明できませんが共感できます。季節のにおい。
さてロルフィングを受けたクライアントから、においの知覚が変化した(繊細になった)という変化を聞くことがあります。人によって引き出される潜在能力は違うんだなと思いました。
ロルフィングのセッションで、ワークを受けて、立ち上がってもらった時に、身体感覚の変化に気がつく人が大多数です。今までと違う体感に、脳が作り出している安定状態の外に出た感じだと思います。
そうすると、その状態を説明しようと思いますが、その変化を説明する言葉がなくて、困りながらも、体に起こった変化を色々な表現で変化を説明してくれるのを見るのが好きです。変化を感じた時にとてもいい表情の方が多いからです。
時にフラフラしたり、めまいを伴うことも多いですが、身体という全体性に頭が出会う時です。私たちは、思った以上に、映画マトリックスのいう、マトリックス空間(擬似空間)に住んでいるといえます。
体という全体性のある器に出会うことにより、都市環境、人工空間、自分が作ってきた制限付きの身体というマトリックスの外の、自然な自分の体、本来の自分に出会うことが出来るののだと思います。安定の外に一度出て、作られた前とは違う安定感は、新しいあなたと言えますね。
前世は、漁師だった時代があるそうです。2年前に、ヒーラー大野百合子さんに、無意識リーディングして頂いた時の一つにそんな場面が出てきました。
小さい漁村の浜辺に、色々な種類の魚を並べて遠くを見ている男性でした。船を降りて魚を広げています。ものすごい魚の種類です。この当時の漁の名手だったみたいです。それでも今日は大漁、ちょっと誇らしげに恵比須顔です。
少し強い風が吹いていて、髪は揺れ、目を細めています。独り者ではないようです。家族、或いは妻の喜ぶ顔を想い浮かべているようです。さて夕方だし、どっかで酒を引っ掛けてから帰るかな。そんな感じの映像でした。
釣りは、苦手と思ってたので意外なシーンでした。釣りでなくてモリ突きですかね。思い出しましたが昔から、的当てるの得意でした。ガンシューティングとかお祭りでの吹き矢。一度マレーシアの部族の村で、吹き矢の催しで現地のインストラクター以上に、的当てして皆を驚かせたことがあったっけな。スポーツ吹矢も得意です。と勝手なこじつけ、笑。
前世知るのも楽しいですね。