私は物語を読んだり演劇を見るのが好きです。通常、作品に感動した場合、その感動は「自分の外」にある出来事に対してですよね。でもロルフィングの場合は、自分の身体の中に変化が起きて、感じるのは自分。実際に姿勢がよくなったり、歩きやすくなったり、変化が自分の身体、つまり「自分の中」に起きるんです。 これは経験として本当に面白かった!(→全文)
(ロルファーコメント)
さて、少し新しいタイプのロルフィングですが、対話しながら進めていくボディワークには、このような展開もあります。そしていくつかの段階でのプログラム発動が身体的に用意されているように思います。
「用意されているように思いますって、ロルファーである吉田さんが用意しているプログラムではないのですか?」と聞く方もいらっしゃいますが、ある程度の枠はあるとしても、せっかくのライブのセッションですので、そのプロセスを大事にし、予定調和でない自然の流れの部分も大切にしたいと思っています。
セッションの主体は、自分の方がいいと思います。主体性の発露というのは、健康になる力の1つだと思います。少し傷ついたり、感動したりしながら、動かなかった塊が解けていきます。映画的なドラマは、現実の中でも起こることもあると思いますよ。
3年ほど前からこのようなシリーズを行なっていますが、経験的なエビデンスとしては、自分の中での自分の物語が整理されていき、長年の違和感や不安の解消には効果が高いようです。皆自分を中心に物語が作られていますから、客観的な視点が第三者の視点が、自分の偏りに気づくようです。誰でも何かしらの傾向はあるものです。どんな傾向も実は個性だったり、魅力だったりするのです。病的に行き過ぎないように、健康の枠に戻って、自己表現へとシフトしていけることが大切だと思います。
僕のコースでいうと、アウェアネスコースでの半数くらいはこのコンテクストで進めています。もう1事例ご紹介いたします。(→事例)
こんばんは。10月に入り、やることが増え、急に忙しくなってきました。流れ的に忙しくなったのか、自分から忙しくしているのか、何か新しい動きが始まっているのか、定かではありませんが、スマホの歩数計を見ると、9月の平均歩数が5千歩台だったのが、10月は8千歩台、明らかに動きが増えていますね。
何かあるのでしょうかね。自意識からしてみると、歩数が増え、運動になった。とか、無駄な動きに見えるかもしれませんが、この新しい動きの部分は、無意識からのメッセージで、それを行動により示している。そんな風にも感じます。こういう時は、その動きのペースに従って、動いて行きます。
身体的な違和感も同様に、何か違う動きをしたいのに、動き出しをしないことに対する違和感を身体は伝えてきている、そんなこともあります。頭で、何だろう、このイライラは?何か動き出したい渇望を感じながら、原因は何?考え始めて、行動をしない時に、身体的な違和感や、心と体の立ち位置がズレていることに気が付かず、神経が高ぶったり、バランスが崩れたりしてくることもあります。
自分のニュートラルを感じたり、ニュートラルからのズレやバランスの悪さに気が付いていくこと、可能な限り修正していくことは、自分の為に大切なことでもあります。人それぞれの性格というのがあるので、自分の違和感を自分で受け止めるタイプと、それから外に対して発していくタイプがいるのだと思いますが、出来れば両方出来るといいですね。
悩みの多くが人間関係だったり、最近の親子や男女の関係性の問題が議論されてきているのも、その辺りの忖度や期待がそれぞれにあり、無意識の関係性のズレがあるのかもしれませんね。無意識下には、伝統や教育、それまでの経験など、様々な価値観が犇いていて、自分の今を背後からコントロールしています。手探り状態の関係性に、神経が参ってしまい、自分の安心出来るモードだけに、閉じきってしまうことも多いと思います。開くとしてもいったいどの方向へ、誰に対して開いていいのか、見当もつかない人も多いことでしょう。自分の立ち位置を感じ直してみる。自分は何者で、いったいどこへ向かって歩いているのか。
さて、今月増えた、新しい歩数分の動きは、僕を何処へ連れていくのでしょうか。
シリーズの終盤に入っている昨日のクライアントが
セッションの後にこんなことを話してくれました。
「アフリカ人のように、雄大に歩いている自分を感じています」。
いい感じの歩き方です。
今のあなたで大丈夫ですよ。
その歩きで前に進んで貰えればと思います。
変化は体の動きから始まります。
気づきと自己理解のボディワークプログラムを提供しています。
誰の人生にもある、アウェアネス(気づき)の時間にご活用ください。(→体験談)
最近のブログはダラダラと書いていたような気がしています。読み直すと長いなって自分でも思いました。
昨年、とあるWEBをプロデュースされる方からのアドバイスで、ブログを書くならしっかり3000字くらい書いた方がいいと言われたからことから文字数を増やしてました。
ただ文字数を埋めるような文章は、内容が薄くなりますね。昔雑誌を作っていた時は文字制限があり、200字で、20文字と枠で括られていました。枠があった方が、本来はいいのかも知れませんね。
あれだけ嫌だった文字制限、枠の世界が、思えば、懐かしく、そしてまた引き締まる事になるとは思いもよりませんでした。
身体というのも、1つの行動の枠、そして制限ですが、精一杯やるみたいな感覚を感じるのには、身体体験が、ずっとわかりやすいですね。ゆるむ、楽、自由を作ることを普段いっていますが、ブログはちょっと引き締めていきたいと思います。
ゆるんだあとは、自分のフィールドを見出し、そのあとは、やっぱり自分で立ち上がって、歩いていかないといけないわけですからね。自分にも適応ですね。
自分の身体と心の枠を精一杯開いて。
台風が過ぎ、澄んだ青空が広がる東京です。
古来日本人は、色々なモヤモヤや葛藤が大きくなると、祓う、という行為をし、リセットすることをしてきたと思います。神社という中に、祓いという風習は残っていますね。
台風は大変な地域もあったかと思います。また亡くなられた方のご冥福をお祈りしています。その一方で、日本を覆っていた何か余計なもの、過剰を、祓ってくれたような気もします。
祓われた感じ、清々しさは、日本人特有のものなんですかねー。神社でも、「パンッパンッ」と手を叩いて、頭を二度下げ、何かしらを想い、そして頭を下げる。これだけの行為ですが、神社に行くとなんとなく清々しい気持ちになり、心がリセットされますね。これも1つのディスチャージと言えます。最近は心だけでなくマインドや思考のリセットが大事ですかね。
何れにしても繋がりがディスチャージしてくれます。自分だけになると、妄想や幻覚の世界へ入っていきます。繋がるのは安心できる身近な人や友人でもいいし、神社や海、山とか、大いなるものでもいいと思います。習慣的に、ディスチャージして、身体内の過剰なものを、外に出してしまうのがいいと思います。
日々の祓いは自分でも習慣にしていけば色々出来ますね。自分で手に負えない部分、身体内部の自分でもよく分からない部分、繋がりや流動性、動きをよくすることは、ボディワーカーにお任せください。目の前に新しい風景が見えてきます。
それでは、僕は今日は少し早めに出て、
少し遠回りして散歩してから帰ります。
友人、知人に様々な乗り物の運転手の方が何人かいます。彼らの語る運転に対する意識、責任や使命感には、いつも感服させられます。
最近、車の自動運転技術のことが話題になることが多いですが、自動運転は、新幹線や航空機では既に導入された技術で、自動車という乗り物に採用されるということで、社会的なインパクトが大きいのだと思います。
しかし、よく考えてみると、我々も自動運転されているようなものなのかもしれません。何に?というと、例えば常識とかルールとかいうもので、その人の経験や好み、空気感、流行とかが多少の方向性を変えているだけなのかも。
その下敷きには、良識とか、民族、文化的な枠、その下には、人としてとか、人間としてとか、生き物としてとか、入ってくるのかも知れませんね。大抵は無意識化されていますが、無意識下から、様々な声で、我々の行動を支えます。
そして関係性という人的な環境も自動運転に加わるのでしょう。
今誕生しつつある、新しい自動運転とでも読んでみましょうか、人間が作り出したテクノロジー、AIやIoTが進化し、その中に委ねるのは、何だか少し怖いような気もしますが、文明の方向性は、一元化し、ゆるいルールの元の、個人化、自動運転化という方向へ向かっているような気がします。
そういう中では、個人の在り方も、時代と共にこれまでとは変わっていくのでしょうね。何を自動運転に任せ、何を自分の判断に任せていくのか。環境化されつつある新しい自動運転装置を感じながら、古い自動運転装置も参照にしながら、自分の、「今、ここ」に、気づいて、感じて、考えて、行動していきたいと思います。
さて写真は、昨年、免許を取った娘が運転する車に初めて乗った時のものです。家族で動く時は、僕がいつも運転だったので、運転される不思議な心境を感じました。自動運転。この気持ちは全国のお父さんと分かち合いたいと思います、笑。
先日、ご紹介したモルックのルール50点を超えたら、25点からやり直すっていうのは、なんか面白いルールですね。
ライフスタイル設計などで年齢を引用する場合、シュタイナーの7年周期説が多いですが、新しいスタイルで、人間も50歳を超えたら一度25歳からやり直すっていう、変容のスタイルの人々がいてもいいような気がします。モルックスタイルというライフスタイルは、いかがでしょうかね。
人間の成熟のスタイルが、一つ固定的でなくてもよく、人生百年時代と言われるからこそ、色々なスタイルがあると面白いのではないかと思ったりします。
人生の折り返しくらいの年齢になると、人生は落ち着いてきて、何もしないと、昔、出会った言葉の中、安定した関係性の中に埋没していく人も多く、自分の人生を客観的にみて可能性を導き出すような機会を一度持った方がいいのではないかと思ったりします。停滞感や違和感は、目先のことではなくて、少し大きな方向転換が必要なこともあります。
無意識化したライフスタイルを切り開くきっかけに、自分の体がなることは、大いにあると思いますね。なぜなら体は、これまであなたの意識と無意識のモザイクであるからです。体の無意識に出会う時、意識はいろいろなことに気づくと思います。
「自分の在り方」の探求という理由からセッションを受ける方達も増えてきています。 (→ 人生の再発見 )
こんにちは。
ちょっと不思議な絵ですね。この絵は、確かロルファーになった時に、講師から頂いた絵だったと思います。左手にプラス、右手にマイナス。真ん中(ハートかな。)にイコール。目を閉じて、バランスが取れている修行者みたいな感じでしょうか。なんとなく意味が伝わってくる絵です。
目を閉じているのは、目で見える世界でなく、心で感じて、釣り合いが取れている感じでしょうか。山が四方にありますが、右手のマイナスの上だけ山が2つあります。他のことにも通じるような基本原則のような気もします。解釈はそれぞれにお任せいたします。
現在、講師を務める講座が始まっていますが、今回はバランスに関してをテーマとしてみました。体に関する色々なバランスを感じていくこと、体を整えていくムーブメントから、体の無意識の癖に気がつき、体の楽や自由を作っていく構成にしてみました。さてどうなることでしょうか。講座は、個人セッションとは違うバランス感覚を鍛えられます。
せっかくの機会、楽しんで取り組みたいと思います。僕自身の新たなバランスに気が付く機会にしたいと思います。
「初キルタン、おめでとうございます。」昔、初めてカトリック教会を訪れた時に、やはり同じようなかけ声がけをされて、ちょっとだけ、照れと躊躇をしてしまった純日本人のわたくしです、笑。友人に誘われキルタンに参加してきました。
キルタンは、インド伝統の、バクティヨガの行為のひとつです。バクティには献身という意味があります。キルタンとは、神様に唄う賛美歌だと思っていただけると分かりやすいでしょう。大いなる存在、聖なる存在へ向けられた歌は、はるか何世紀にも渡って受け継がれてきたということです。
マントラの力、音楽の力、声の力、人が掛け合う力、様々なバイブレーションの場の力を感じました。日本人は無宗教と言われますが、都市の装置として、宗教的な場は、色々ありますね。閉鎖的な団体もありますが、オープンで、気軽な場も多数用意されていて、時に人々を癒す場となるのでしょうね。今回のキルタンも、ゆるく、オープンで、自由な場でした。そして参加者みんなが楽しそうです。
ちょうど今シンクロしていて、世界の神話講座に出ていてインド神話も少し詳しいので、ガネーシャへの賛美で始まるプログラムもすんなりと入れました。ガネーシャは、シバの息子、願いをかなえてくれる象の顔の神様です。話すと長くなるので神話の話はまたいずれ。
学生時代は社会学を専攻していました。都市の快適性、街のコミュニティの構築や発展を眺めてきて、今、少しだけ、場の構築に関わり始めていて、数十年ぶりにコミュニティのあり方を感じ始めています。日本人のコミュニティや関係性の持ち方、人と人の関わり方が、少しづつ変わってきています。
みんなが同じでなくていいスタイル。多様性を楽しめるスタイル。気軽に参加できる緩いスタイルの運営、日本人だけでないコミュニティの在り方、東京の在り方が、ライフスタイルが広がり360度に展開されていく様子を、目撃しています。
昨日は家にいたので、テレビで「即位礼正殿の儀」を見ました。
平安時代のようなゆっくりとした時間の流れの中で、厳かな儀式が行われていて、とても素晴らしかったと感じました。
普段は気づかない体の動きや身体の癖も、ゆっくりとした動きの中で見えてきます。無意識になってしまうと、すべてが盲点となります。
平安時代の宮中はメディアやバーチャルなどがない時代でしたが、ゆっくりとした時間の中で様々なことが現実の中に存在していたでしょう。今では見えなくなってしまったものも、当時は見えていたのかもしれません。
祭日で都内も静かだったせいか、宣明の後に礼砲の音が窓から聞こえてきました。皇居と渋谷の距離が7、8キロもあるのに礼砲の音が届くことに驚きました。
都市にいると、遠くの出来事を感じることができなくなり、さまざまな感覚を失っていくのだと思いました。
話は変わり先日の神話講座での話。
創世記のカインとアベルの話が出てきました。カインを殺したアベルが追放され、街を建設したという話です。この話は、数十年前にオーストラリアでアボリジニの知人から聞いた話ともつながっているように思います。彼は聖書を知らないかもしれませんが、無意識のつながりを感じます。
文明は都市を築き、高層化していきました。東京駅近くには、2027年に日本一の高さ390mの高層ビルが完成すると言われています。人類は神に近づいているようで、言葉が通じなくなり、コミュニケーションが難しくなり、積み上げるのをやめて、世界中に散り散りになるのかもしれません。
令和の時代が始まった日本は、積み上げる一方で、既に降りている部分もあります。話される言葉は、異化していく傾向と類化していく傾向を持ちながらも、集約されつつあるように感じます。人口も縮小し、発想も縮小し、経済も成長とは異なる方向に向かっているように思います。
色々な子のが混在する今どきの都市です。
環境や気象、関係性、人口、文化、テクノロジーなど、様々な変化が私たちの心と身体に影響を与え続けています。
どうか、自分の心と身体を大切にしてください。
ロルフィングは大人だけを対象としたものではなく、当然子供たちも対象としています。成長や発達における構造的、機能的、動きやバランス、対話力、コミュニケーションなど、身体的な側面からの確認していく機械として、ボディワークの可能性は大きいと思っています。
人生のスタートにニュートラルな身体を。という想いから子供たちへのセッションは、以下の対応とさせて頂いています。
2歳までの乳幼児は1、2回無料。小学生までは半額。
中学生、高校生、大学生も学生料金にて対応しています。
(詳しくはお問い合わせください。)
姿勢が悪いに始まり、スポーツ時の動きや体の左右さなど、様々な症状で来られますが、例えば、小学校高学年から中学校の成長期のお子様など多いです。一時的に痛みが出るオスグッド(成長痛)という症状が有ります。骨の成長と筋肉の成長がアンバランスで生じるものと言われています。更にはいはいや、歩行のアンバランス、表情や手足の動きなど多岐に渡ります。成長や発達の途中は一時的なもので、成長や発達と共に、また経験と共に解消していくものですが、当人にとっては、痛みを伴い、しかもまだうまく言葉で伝えられない年齢であることも考慮すると、出来るだけ痛みなどを緩和し、足の動かし方や歩き方などの教育も含め、体の動かし方を手にすることが、その後の成長期をより良い形で進んでもらえることに繋がると考えます。そしてそれは将来のお子様の体や姿勢にもプラスが多いと考えます。
水鏡の写真撮影に凝っているとクライアントから聞きました。言葉はなんとなく知ってたけれど、リアルに聞いたのは初めてでした。
インスタに使うのでしょうか、最近の女性も色々と凝り性の方が多いですね。
水面に物の影がうつって見えることを水鏡といいます。その他の言葉の意味としては、水がありのままに物の姿を映すように、自分らしい行いを心がけるここと、あるいはそういう風にしている人を指すこともあるのだそうです。
写真は、昨年出かけた上高地の明神池です。アートぽく取るなら少し水面が揺れていた方がいいのかもしれませんが、ここの水面は、澄んでいてそのままが写っていました。あの時は水鏡という言葉とは出会いませんでしたね〜。
さて、秋になりお散歩が気持ちいいですね。水面の写真を撮りに行くのもよし、緑の中を歩くのもよし、自然をたくさん満喫しましょう。現在担当している講座の会場は、大きな公園の中にあり、僕は朝少し早い時間帯に、朝からテニスされている方、ゲートボールされている方、犬を連れて散歩されている方、ジョギングさていてる方の脇を突っ切って歩いていきます。朝の空気や木々の香り、鳥の声の中を歩いていきます。写真を撮るのが勿体無いくらい五感を全部開いて。
水鏡というのは、鎌倉時代の歴史物語でありましたね。神武天皇から仁明天皇まで57代のことが語られてます。73歳の老婆が、長谷寺に参籠中の夜、修験者が現れ、不思議な体験を語るスタイルでまとめられたものだそうです。
こういうことはよくあることなんですね。どこかで聞いたような、いや同じようなことが僕にもあったような気がします、が、その話はまたいずれ。
開いていれば、世界は、昔も今も、不思議なことや不思議なことを色々見せてくれるのでしょうね、水鏡に映して。
鎌倉、長谷寺&由比ガ浜ウォーキング行ってきますかね〜。(アレ?長谷寺は奈良なのか、鎌倉なのか)
筋膜を緩めただけで、すごく身体が楽になるし、立ち方も歩き方も変わることを実感しました。本来の人間の機能をおかしくしてるのは自分自身の身体の使い方なんだなと気付きました。身体のいろいろな機能がつながってくると、力を入れなくてもまっすぐ立てることができるし、歩くのも楽です。
ロルフィングは、自分にとってたくさん「初めての体験」がありました。10シリーズは、各セッションごと、それぞれに違うテーマがあって、それぞれ感じることが違い、毎回面白かったです。吉田さんは筋膜と話せる「ムツゴロウさん」みたいだな~とセッション中、いつも思っていました。(→全文)
(ロルファーコメント)
シリーズ後に、色々話したいような方がいた際には、インタビューをとってみることがあります。雑誌制作時代に数百人の方のインタビューに立ち会ってきたので、インタビュー的な対話は得意かも知れません。
アウェアネスコースでパラダイムシフトや自己理解が深まるのは、ロルフィングセッションに加えて、このインタビューの要素があるからだと思います。(→パラダイムシフト)アクティブなインタビュー形式の対話を重ねていくと、人は自己理解が深まり、ブランディングされていくのでしょう。これからの個人か社会では個人もブランディングが大切になってくるのだと思います。ボディワーク主体のコース編成が多かったですが、来年は、自分ブランディング中心のコースも作ってみようと思っています。体テーマ、そして心と体テーマ、心や意識、発想法、表現法などクリエイティブコンテンツもコラボレーション含め展開してみたいと考えています。
それにしても、色々なクライアントに感想が語って頂いていますが、ムツゴロウさんはびっくりしました、笑。確かに身体というのは動物と共通している部分も多く、体の声を聞く、という意味では、ある意味当たっていますね!
こんにちは。今日もいい天気ですね、気持ちの良い秋を迎えています。毎年、秋は、なぜか元気で活動的になります。冬も比較的元気です。そして春を感じ始める時に少し体調を変容し、その後元気になりだし、夏がちょっと苦手です。秋の予定を立てながら元気に戻ります。
日本は四季の折々をメリハリのある国、四季それぞれを楽しむための文化や教養、行事など季節のリソースが沢山あります。
気持ちやゆとり次第で、そうしたものと、出会えます。ただ日常生活や仕事や、心奪われたものに夢中になったり、ハマっていると、或いは忙し過ぎると、なかなか自然の中には、戻ってこない人もあるかと思います。
特に東京にいると、色々な情報が現実やバーチャル空間、人工空間の中を駆け巡り、季節感なし、立ち位置不在で、無意識の中、時間が過ぎていくことになってしまうこともあるでしょうか。気になるのは、人間関係、ネットニュース、不快な現実から逃れることで、自然が気になるのは、夏の暑さや冬の寒さからいかに逃れるか。なんていう人もいるかもしれません。
やはり、意識していることが現実感覚を作っていきますから、気にすると、その気にした情報世界が、広がっていきます。何を意識して生きていくかで、自分の世界は大きく変わることになります。
春の光 集めたら 花咲かせて
夏は月浮かぶ海で みつめて
秋の風 冬の雪も その吐息で 暖めて欲しい
four seasons with your love もう一度
それぞれの季節を、それぞれが生きています。
自然の中にあれば、必要なものとは自然と出会っています。
自分がブロックしているとブロックの中の現実を生きることになります。
自分を生かしていくための気づき、
生まれ変わるための気づきをあなたへ。
自分の一番身近な自然である体との出会いから始まる自分自身の人生を。