ギターを弾くようになって、
聴く音楽も変わってきました。
改めて音楽と接していると、歌詞を聞いていると、
大昔の自分がまだ生きていて、自分の中に葛藤や違和感を増やしていく気がします。
まるで絶滅したティラノサウルスやらアウストラロピテクスやらの雄叫びが腹の底から続いているように。
葛藤を無くそうとして、人はもがくけど、
葛藤があって普通なんだって思います。
葛藤しなくなるのは、安心するために世界を狭めたか、
誰かのせいにしだしたか。
もっと自分でいたいですか。
もっと安全、安心でいたいですか。
セッションをしていると色々な体の声を聴かせてもらえます。
細胞の声、聞かせて貰っています。固有感覚。
色々な体の声がありますね。
いつも有難うございます。
それにしても、
このギターの弾き方カッコいい。
ちょっと真似っこしています。
きっと大切なものはいつもここにあって
人はついつい見失ってしまうけど
そんな時はその胸にその手を当てて
自分の心の声を聴けばいい
存在証明 ReN
クリスマスが近づいてきました。
皆さまは、今年はどんなクリスマスの予定でしょうか。恒例、同じようでも、毎年違うクリスマス。それは人間が変わっていくからです。自分も、家族も、そして街の雰囲気も少しづつ変わっていきます。
浮かれているので気がつかない人も多いですが、今この時の楽しさ、有り難さを感じて、時を同じくしている集まった人々と分かち合って貰いたいと思います。でもなんか言葉にするとちょっとくさいですね、笑。うーん言葉の限界です。
さて、このブッシュドノエルは、Facebookの「思い出」で送られてきたもので、広尾にあったアレグレス広尾のパティシエワークショップにて小学生の頃の娘が作ったものです。この店も今は無き店、シェフは個性的で、素晴らしい方でしたが店は2014年の秋に閉店となりました。その後いかがお過ごしでしょうか。懐かしいです。月日の経つのは早いです。娘は大学生になりました。しっかりと一瞬一瞬の今を大切にして生きていきたいですね。今度ケーキ屋さんでバイトするそうです。
「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。」と読んだのは、吉田兼好、奥の細道にて。
現代風に訳すと、「月日は百代という長い時間を旅していく旅人のようなものであり、その過ぎ去って行く一年一年もまた旅人なのだ。」という感じでしょうか。
現代社会は、本当にスピードが早いです。
自分を超えて月日は流れていきます。
そしてその反面、人生が長くなったからでしょうか。価値観の変化のスピードについていけない沢山の魂が世界に溢れているような気がします。
人生100年時代は、何度か魂の入れ替えをし、ライフシフトしながら生きた方が、良さそうな気もします。節目の時に、体と心の同期を取る経験は如何ですか?。
生まれて半世紀を過ぎた頃、引越しを考え始めました。そういうタイミングがやってきていたのです。今住んでいる場所は、町内で3度引っ越しをしながら住み続けている場所で、気に入っている場所なのです。
それでも15年が過ぎ、仕事の状況も、家族の関係性も変わり、現実的でも無くなっているような気もしていました。コーポラティブハウス、それから地方住居を始める若者、そしてシェアハウスなども気になります。
そんなわけで、しばらく東京の色々な街を見て歩いていました。
改めて住むという基準で街を見ていると違った面が見えてきます。この街は訪れるにはいいけど、住むにはちょっとな。とか、この店にはたまに訪れたい!とか、そしてノスタルジックに、20代、30代の自分が顔を覗かせます。
色々と基準を変えて見ると、色々な面が見えてきます。その気になって色々動いた結果、今の住まいも、なかなか悪く無いことに気がつきました。過去、未来、現在を貫く何かを発見したのです。何を気づいたかはまた別の機会にしますが、気づきというのは実に味なものだと言えます。(また数年したら、また探し始めるかもしれませんが、笑。)
違う基準で見ると新しい面が見えてくる。これは人間にも言えます。会社でなんとなく話にくいと思ってた人と偶然本屋であった時に、なんとなく、話しやすいイメージを持ってしまうと、話が進んでお茶をしに行ってしまったり。話してみたら音楽の趣味が一緒ですっかり仲良くなってしまったなんてことも時に起こります。
違う基準でこの違う基準で接しているとこうした印象を正反対にすることもありえます。が、自分の視点が固定的だとこういうことは起きません。画一的な視点で構築されている自分。そうでない自分を知る、自分を別の視点から捉え直すこと。人生が長くなっている現代、必要な機会かもしれません。世界は色々な視点があることをスマホ時代の現代、我々は感じ始めているのだと思います。
我々ロルファーは、体に関して新しい示唆を示しているのだと思います。ニュートラルに身体をみていくと、自分と違う視点の自分に出会える、自分からの視点だと気付ける、ということになります。
セッションにおいてボディリーディングということをします。体(姿勢や動き)を様々な面から見ていきます。解剖学的に見ている時もあるし、歩き方の左右差を見ている時もあるし、空間の使われ方、視覚の使われ方、骨盤と胸郭の関係性を見ている時もあります。或いはもっと直感的に体全体のトーンのばらつきを見ている時もあります。
その度、その度に見えてくる体が変わってきます。色々と見えてくる中で、直感的にこれかなと感じたその人に一番大切だと感じるワークを組み立てていきます。あまり具体的に深く考えない方が色々と面白い変化が起こるのが面白いところです。
慣れから外れて違う視点で自分を見直して見るという経験、違うアングルからみると、違う自分、新しい価値が見えて来るかもしれません。もしかしたらもの凄い発見があるかもしれません。情報過多、価値多様化社会の体のシフト、あなたのニュートラルへdive inする経験。 この先も都市住居を決めた人にはお薦めしたいのです。
今日は寒いですねー。
昨夜は深夜の時間帯に水道工事で断水があり、12時過ぎに千鳥足で、家にたどり着いた僕は、速攻で風呂に入ったら、なんと追い焚きができず、シャワーも出ずに、寒い思いをしました。しばしストーブの前で、濡れた身体で震えながら「SMILE]を歌い、暖を取ってから就寝しました。
昔、空耳アワーというタモリさんが司会をされていた番組がありましたが、このsmileという曲。途中に「You'll see the sun come shining through for you.」という歌詞があるのですが、僕には、どうも、「ヨシダサン、カム シャイニング スルー」(「ヨシダさんがあなたを輝かせますー」という意味)と聞こえます。どうですか?聞こえませんか?笑。
一度そういう風に聞いてしまうとずっとそういう風に聞こえてしまう空耳の恐ろしさ。こうした日本語、英語の間だけでなくて、空耳的なることに、我々は引っ張られて生きているとも言えます。実は空耳の話は奥が深いので、また別の機会に話します。ー So,I imagined it, didn't I.
セッションルームに着いて、部屋の準備している時に、この曲をかけてる時があります。
自分に暗示をかけるようにこの歌を歌っています。思い込みというのは偉大な力です。とりあえずスマイル。
こんにちは。寒くなってきましたね。寒くなると、なんとなくもの悲しくて、精神が不安定という話もよく聞きます。施設や老人ホームでも寒い時期は乗り越えるのが大変だそうです。暖かい部屋にいても、身体やメンタリティは季節と関係していますね。
妙に気分が落ち込んでうつ病なんじゃないのかとか、メンヘラ的に分析し過ぎたり、悩んでしまうと、心と存在と意識のバランスが悪くなってしまうような気がします。
他人は鏡だと言いますが、色々考えすぎている時は、自分の中でグルグルしているので、他人を気にしてません。自分の中をそのまま投影してしまい、他人の顔もなんとなく冷たく感じたり、相手が不機嫌や不寛容に感じてしまうこともあります。考えるを一度手放して相手の話に注意を傾けてみましょう。
坐禅の時に、お坊さんに言われることですが、
雑念が出てきても、出てきたとそのまま観察することが大事だと言われます。
そういう感じ方が有ってもういんじゃないのかなって思います。もの悲しい感じ方を感じない自分になるというのもあると思うのですが、色々な感じ方がある自分を認めていく。自分の範囲を広くとって、受容していってあげるのがいいんじゃないのかなって思います。いろんな自分を受容していくのも一つですね。そして同じように身近な人にも受容を適応してあげて下さい。普通がゆるくなった世の中ですので、相互関係の作り方が多様化していますね。
Hallo,again、こんな私、久しぶり。
そしてそんなあなたも、久しぶり。
こんにちは。前回のパラリンピックの閉会式見ていました。
いろいろな競技ありました。どれもそれぞれ素晴らしかったです。片足を失ったって、手をなくしたって、視力を失ったって、それを苦にするのではなく、自分の個性に変えていく。それをパラリンピックの舞台まで広げてきた心に、精一杯の拍手を送りたいと思います。
自分の体の力を全て使って、賭けて、今に臨む姿。自分の体現者の姿は美しいですね。一人ひとりそれぞれにドラマがある。そのドラマを作る力は全ての人間に内在されているんだ。その精一杯の姿を見させてもらった気がします。体現した体や体の動きは美しいのです。
現実の見方はいろいろな視点があります。政治寄り、ビジネス寄り、文明寄りその他にもいろいろな見方がありますが、身体の在り方の可能性、人間の全体性の発露の場として、パラリンピックは素晴らしいと思います。来年は東京大会、僕も微力ながら、お手伝いさせて頂き、参加を楽しみたいと思います。
さて、大会の象徴であるシンボルマークですが、オリンピックは五大陸を表し、五輪5色は有名ですが、パラリンピックは、こんなマークです。コンセプトとしては、人間の最も大切な3つの構成要素「心(スピリット)、肉体(ボディ)、魂(マインド)」を赤・青・緑の三色で表しているそうです。なるほど構成要素も、色も奥深い話ですね。
他との比較ではなく、全ての魂が光り輝ける世界へ向けて人類は少しづつ邁進しているようです。オンリーワンの時代のインフルエンサー達へ大きな拍手とサポートを送りたいと思います。
こんばんは。東京で車に乗らない生活を過ごしています。
それでも旅行に出かけると運転致します。昨日、一昨日も一日中運転してました。地方は車で動いたほうが断然楽ですね。飛行機で着いてすぐに運転に入るわけですが、体が運転モードになるのが少し時間がかかります。知覚力の変化のせいでしょうか。
最近は運転で使ってた部分を他で使っているせいか、初日はまだ体が慣れてこないため、少し慣れない運転でホテルへと辿り着きます。
それが不思議なことに一晩寝て2日目になると、現地に慣れてくるのか、運転モードが寝てる間に体にアップロードされてきているようです。二日目の運転はまぁまぁ快適です。
人間は一度身に付けた技能は脳のどこかに格納されているのでしょうかね。それでもやっぱり年齢ともにアップロードされるのに時間がかかるようになりました。
日々運転してないと身体の運転能力は確実に無くしていく気もします。
人生100年時代。長生きすることが確実になった時代だからこそ、知覚力にもメインテナンス発想が大事なんだと思います。
ずっと続けていきたい身体技能は定期的に継続トレーニングしていきましょう。失うことを人はなかなか自分で認知しにくいですね。そして健康診断でわかるのは健康範囲の数値だけです。バランス感覚、調整力、知覚力、筋肉の状態、姿勢、健康診断では分からない身体の色々が10シリーズを受けると自己理解できると思います。一般の方は10シリーズは一生に一度受けておけばいいと思います。内臓や脳や背骨を細かく確認したい人はアウェアネスコース(15回)をどうぞ。
いずれにしても健康診断だけでなくて、筋骨格系、循環系、体の免疫力、調整力、ホメオスタシスなどもチェックは大切です。何しろ我々は生きているわけですから、全体を動かし続けていることが大事です。動的な健康を目指して頂きたいと思います。動的な状態は、単純に運動ではなくて、体が全部動いている状態です。数値には現れない部分も含めて、姿勢、様々なバランス、感覚や知覚の状態など、メインテナンス発想で体をニュートラルにしていきましょう。
東京を離れ、南の島の海岸で空を眺めてました。
細かく千切ったような雲が空一面に雲が覆っていて、
どこまでも繋がって少しづつ形を変えていく。
切れ間には、青い空がくっきりと見える。
そんな風景がどこまでも繋がっていくこの島を
”境界線のない島”と、名付けました。
どこまでも続くだろう海が広がって、波音に抱かれて。
懐かしい場所、風景、光。
なまめく風、薫、華。
聞いたことのない詞が耳に届く。
雲たちは形を変えながら、少しづつ動いてる。
動きながら、また新しい形が見えてきて
そしてまた繋がっていく。
ここは神のくに、全てがある植物の杜。
家庭や街や世界を通り過ぎ、自分の形が変わる場所。
言葉は無くなって、そして新しい形が生まれてくるランディングサイト。
今年も色々、働きました。
登場した自分を、今一度、カーテンの前へ
雲と空、海と砂浜、自分とWEが混じり合う時間。
30日に今年最後のお客様を見送り、2019年も無事に終わりました。今年も沢山の方と出会い、見送り、一年が無事に過ぎたことを嬉しく思います、今年、関わった方、ありがとうございました。
アウェアネス。テーマとして気づきのセッションが増えてきた印象があります。思えば人生の竹の節のような時期に、節の共鳴をつくるように身体を再構築してきた感覚があります。
不思議な縁に導かれて、縁ある方と出会っているような気がします。そして出会いよりも、見送り、見守り、が多くなってきた感があります。
見送り。見守り。オブザーブ。気がつけば、そういう年齢になってきた気もしますし、自分の内部、身体を感じてそうしている気もします。
また違う部分の脳を使っているような気もします。
固有感覚を発達させているロルファーなので、皮膚感、背骨、内臓などからくる知覚やメッセージが沢山伝わってくるのです。特に脳はまた違う使い方、在り方を始めたようです。2020年、次への新しい第一歩のお手伝いが出来れば幸いです。
あなたの人生の主人公はあなたです。
さて新年は4日より営業開始します。
セッション予約は5日より可能です。
それでは皆様、良いお年をお迎えくださいませ。