運命の人。宿命のライバル。そんな言い方をよくしますね。この絵は、オルセー美術館にあるエドワード・バーン=ジョーンズの「運命の女神の車輪」という絵です。
運命は女神によって車輪を回されています。運命の女神、過去、現在、未来を支配する者としての三相の女神の跡は、ほとんどすべての神話にたどれます。この話は長くなるのでまた別の機会に話します。
さて、日本には、運命の他に宿命という言い方がありますが、欧米では全て運命ですので変えられるのです。宿命として諦めるのではなく、運命は自分次第で全て変えていける、そんな発想があるのでしょう、なんと進歩的な発想でしょう。
ロルフィングはアメリカで生まれたボディワーク、宿命的なことも、運命的なことも、全部がセッションの対象です。構造的、機能的、エネルギー的、精神生物学的、幾何学的、バイオロジカル的、様々な側面から、人間存在の可能性や状態を変革していきます。
さて「宿命」は生まれる前に決まること。「運命」は生まれた後に決まることですので、「宿命」=変えられない。避けられない。「運命」=変えられる。避けられる。ということになります。これは、元々持っているものと、それから出会っていくものを分けている発想ですかね。詳しい方教えていただければ幸いです。
ロルフィングでは呼吸に始まる生まれた後の身体統合をします。クラニオでは脳髄液の一次リズム、つまり生まれる前に決まっているリズムを扱います。
日本発想でいうと、運命や宿命をニュートラルに戻していくことになります。勇気のある人はアウェアネスコースを。ちょっとそれは怖いという人は10シリーズがいいでしょう。こういう風に書くとなんか凄いワークのような感じもしますが、別の運命に導くような影響を与えるというよりは、自分のニュートラルな運命に立ち戻っていく。そんな発想がいいのかもしれません。歪みやズレ、潜在しているトラウマや発達障害の違和感は、光を当てニュートラルになっていくことにより、新しい認識や昇華の局面が生まれることでしょう。最後まで諦めない、そんな心に自然界の奇跡をいくつも目撃してきました。
と言っても身体が変わったり、認識が変わるだけでもあります。現実の世界を最終的に運命を切り開いていくのは本人、そう本人の意志ということになりますね。生きていて、葛藤や違和感が続くような時は、身体の声を聞く、そんな機会もあった方がいいかもしれません。知る、気づくだけでも十分だと思います。身体には意識だけでなく、無意識も含まれています。
地球温暖化と地球寒冷化。どちらでもない二極化の異常気象。
色々なことを言われる気象状況ですが、本当の所はどうなるでしょうかね。
確かに夏は以前より少し暑くなったような気はします。冬はなんとも言えませんが、子供の頃より暖かくなった気がします。
実際はどうなのでしょう。場所も違うし、住んでいる家も違うし、年齢も変わったので、単純比較は出来ませんね。
桜のシーズンが前倒しになってきています。今年の桜の開花予想は3/23、満開日3/30だそうで、異様に早かった昨年よりはマシになっています。(昨年は開花が3/17、満開が3/24)
もう1つ人生のライフサイクルという視点もあるような気がします。10代と30代と50代では身体状況や知覚が違っています。前より寒いと思っても、身体状況が変わっていたら、前よりの部分は、どこまで正確かわかりません。
我々の身体も生活習慣やライフスタイルの変化で変わってきています。身体が変われば知覚は変わってきます。前に感じたことは、その時のままの印象が記憶として残ってしまっているだけで、同じことを今体験しても、同じように暑い!寒い!と感じるか分からないのです。場の力。自分を取り巻く環境が総合的に知覚を左右しているといえます。
知覚が影響を与えるものに感情と思考があります。知覚が狭まっていたり、不安定だと、感情と思考の状態も、狭まったり、不安定になりがちです。自分の知覚の状態を感じて、感情や思考を安定させていきましょう。ボディワークは、知覚を開き、安定させていくものですので、感情や思考の安定にとても役立つものだと言えます。老化防止にもなります。
○10シリーズの感想やロルフィングをやって良かったこと。
これまで自分の体を感じるってことを意識したことが無かったが、いろいろと刺激をされた感じです。セッションでは色々な発見がありました。毎回メモをとっていたのですが、家に帰ってそれを見ながら思い出して歩いてみたりすると、同じように出来て、あー出来たって思うことと、あれ?この前感じたように出来ないなと思うこともあって、知覚や動きが大事だと思った。今まで色々なトレーニングをしてきている中、筋肉でいろいろやろうとしていたことが自然に出来るよ
うになったことが良かった。
いい姿勢を保つために、腹筋も肩に力をいれて、ぐっと力を入れていたのが、意識しないで力抜いて自然にしていても、いい姿勢を楽に出来るようになったというのが私にとっては一番いい所だった。
後半のセッションで吉田さんにリードしてもらったり、少しサポートしてもらうと、ほんと身体が色々なことができるし、変わるし、新しい動かし方も出来る。知覚や意識も動きには大切なんだなと思った。
ロルフィングの全体像は、まだよく分からないけど、私はすごく良かったので、こういうのは、皆がやってみた方がいいと思います。10シリーズでその一部をかいま見させてもらった感じです。凄く面白かったです。吉田さんが言ってたとおり、身体の脳トレですよね(笑)
○印象的なこと
毎回それぞれ有ったのだけど、第7セッションで顔が変わったのは、ちょっとビックリした!顔をやるのは最初知らなかったけど、やった前後で随分変わったのでびっくりした。顔も身体の一部で、無意識のうちにどこか力が入っていたんだなと思った。面白いです。
○きっかけ、経緯
筋膜という言葉は前から聞いたことありました。雑誌で筋膜ほぐす道具みたいなものを見て興味があったけど、どれがいいのか分からず手を出せずにいた時に、トライアルの機会があったので、飛びついた。どんなんだろう??っていうのが最初の印象です。体験に来て、身体を全体的に統合させていくロルフィングを知り、是非受けてみたいと思った。
○吉田さんの印象
私は施術者が男性でも、それが一番いい方法なら遠慮せずやって下さい!というタイプなのですが(笑)吉田さんは、「嫌だったら遠慮なく言ってくださいね。いろいろなアプローチがあるから。」などいろいろ気を使って頂けたので安心して受けれたし、今後知り合いにも紹介しやすい。相性はあると思うんですけど、私にとっては話しやすい方でした。
「風の歌を聴け」は、言わずと知れた村上春樹のデビュー作です。
あれは何歳のことだったのか、忘れたけど、初めてこの本を手に取った時に考えていたのは、「風の歌」というのがどんな歌なのかってことでした。
風は歌を歌っているのか、それとも奏でているのか。それとも風の歌というレコードがあって、ターンテーブルに乗せて、nagaokaのダイアモンド針でかかるものなのか。そんな想像しながら手に取った本です。
言葉では表せないもの、けどなんとなくピンときた。そんなことを考えていたのを思い出す。初めて読んだ時に、何て違和感のない文章なんだろう。って思いました。それから村上春樹の本は、ある年齢になるまで全て読んでいました。本を読まなくなったのは、単純に仕事が忙しくなったからです。忙しさは心を無くします。
その頃の僕はずっと違和感のないものを探していた気がします。それは本でも、音楽でも、映画でも、服でも、女の子でも。違和感のしないものは世の中には少なくて、僕はいつもイライラしていた気がします。今は違和感を感じることを抑えていく方法が主流でしょうかね。薬とか、言葉による合理的な納得とか、抑圧とか、昇華とか。そんな知恵のなかった僕は、ストレートに吐き出していたのでしょう。
違和感ないのは気持ちいい。
そして自由な感じがする。
違和感があって、普通だとかいうのって、不思議だと思いませんか。
これは身体でも同じです。
体の違和感、そのままにしていませんか?
体の違和感を、どこかに押し込めていませんか?
誰かにぶつけてませんか?
風の歌を聴く。それは、小説のタイトルであったけど、
その後の僕は、風の歌を聴くように、自分の皮膚感で生きてきた気がします。
それは比喩のようであり、比喩ではないような気もします。
オーストラリアで出会ったアボリジニ。
彼は、風の歌を聴いていました。
風から色々な情報を得ていました。
温度、天気、隣町の様子、動物の動き・・・。
僕は聞きました。
「君は、風に歌を聴くことも出来るの?」
「もちろん。」
「でもここでは出来ない。」
「なぜ?」
彼はしばし沈黙したあとこう言いました。
「ここは街だから。」
たまには街を出ましょう。
書を捨て、町へ行こう。と言ったのは70年代。
町は気が付けば街になり、消費する位しか自己表現はなくなり、
モノ消費。
それに嫌気をさした人達は
街を捨て、海外に行こう、地方にいこう。行ったわけだけど、
行くだけではダメで、何かに出会わないと。何かを作り出さないと。生み出さないと。
それを商品化され、コト消費。
結局消費する僕と、消費される私たちは、
消費するために働き、忙しくなる。
またジワジワとくる違和感に、
捉えられるのは人生の半ばでしょうか。
街に家を買い、ローンを組み、
違和感を我慢しながら、薬飲みながら、夢を見ながら、
口で大丈夫って言っている街を出れなかった大人たちへ。
色々な風が吹き始めている地球で生きていく身体を。
自分の違和感に気付く身体を。
ジョンレノンは、war is over と言ったけど、2019年の現在でも、世界のどこかで、紛争や対立は続いていて、沢山の人の心が引き裂かれています。「ヒューマンフロー」という映画を見てきました。世界中で漂流し続ける難民の姿を追いかけたドキュメンタリーです。
監督は、アイ・ウェイウェイ(艾未未)。昨年の横浜トリエンナーレでは、美術館の外壁と柱に、救命ボートと難民が実際に使用した救命胴衣を用いて、難民問題に関する大型インスタレーションを展示していたのを思い出しました。
どこか遠い街でのことですが、2010年代という同時代を共有するものとして、生きるものとして、知っておいた方がいい現実だと思いました。社会学を専攻していたオリジナルの僕(我)がつい反応してしまうコンテンツです。
リンク貼っておきます。
血管年齢を若返らせる、というテレビ番組が放送され、熟年層からの需要急増で品薄状態だった輸入ブルーチーズ。効能的には、一酸化窒素が血管を柔らかくさせる「LPT」を摂るのが効果的で、ブルーチーズには「LTP」が多く含まれているということでした。
ロルフィング受けられる方にはよく言いますが、やっぱり循環器系、血管やリンパなどはなかなか交換が難しいので、メンテナンス大事です。最近はカテーテルが進歩して静脈瘤も治るそうですが、手術内容を聞いたら気の弱い僕には無理っぽいです。健康診断の注射でさえ決死の思いで臨みます^ ^
医食同源、栄養からも血管のケアした方がいいですね。
体のメンテナンスは、食べ物、そしてボディワーク、どちらも大事ですね。
血管の周りも筋膜で覆われていて、血管を辿るワークをすることもあります。神経に関しても同じような感じです。ロルフィングは筋骨格系しか扱わないことはなく、こうした血管や神経、脳や内臓なんかもセッションで扱う場合があります。こうして文章にするとちょっと不思議な感じがしますが、体というのは全体で1つなので、セッションは全身に及びます。
ワインが好きな僕にはブルーチーズは定番のツマミですが、健康の為に食べるというのもあるのですね。食べ過ぎにはご注意ください。1日30グラムほどで。どれを食べていいか分からないという方には、僕の定番ですが、キャステロブルーなんて如何でしょうか。
ボディワークも血流改善に役立ちます。10シリーズだとセッション2で、脹ら脛や足首を緩めていきます。自分で出来るムーブメントもセッションでは紹介しています。足首、脹ら脛、が柔なくなると全身の血流が良くなりますよ。特にリンパには血管における心臓的なものがありません。筋肉がポンプ代わりです。下腿部の筋肉、筋膜のリリースは、冷えにも効果的です。大きな血流、それから毛細血管にも刺激が入ります。
セッション5の後、私には明確な「変化」の気づきがありませんでした。でも、ロルフィングは施術後直後だけでなく、何週間か経た後にも変化が表れてくるという「ロルフィングのおもしろさ」を感じています。
一つは、今までハイヒールを履くと夕方に感じていた右足首と右膝の痛みや違和感がなくなったことです。8cmヒールも平気です。もう一つは、ランニングを止める原因ともなった左股関節の痛みとそれを庇うからか痛めた右膝の腸脛靭帯の痛みもありません。痛みを抑えるため毎晩ストレッチをしていたのですが、1週間程度ストレッチをしないでいても痛みを感じることはありませんでした。脚にアプローチするセッションを受けて3~4週間は経ていると思います。今になって現れるとは、なんだか「サプラーイズ!」
これは、セッション5と関係あるのかわかりませんが、なんとなくセッション4後の「外側から内側に変化を感じた脚のライン」が「ラインでなく」もっとしっかりしたものになっているよう感じます。平たく言えば、脚が腰骨の高さから地面に向けてズドーーンとある感じがしています。
今回のセッションは腹部周辺でした。個人的に腹部と背部はセットと思っています。次回の背部を受けることでセットで明確な変化があるのかなぁと想像しています。遅れてやってくる「サプラーイズ」は楽しみ倍増でウェルカムです。
A.
実際に受けて貰うのがロルフィングを分かる一番いい方法だと思っていますので、ロルフィング10シリーズの1回目セッション1を受けて頂いて、セッション後続けていくか決めて頂いてます。セッション1は、呼吸です。この世に生まれ出て最初にするのは、呼吸。呼吸の変化で、身体が使えている感覚を実感して下さい。呼吸以外にも色々なこと感じることになると思います。その人ごと、それぞれです。
セッションに入るには不安があるという方向けに、ロルフィング体験説明会を期間限定で開催しています。
疑問や不安を全てクリアにしてからセッションに臨んで貰えればと思います。
「自分の背中は、どういう感じですか?」と最初に聞かれましたが、私には答えるべき言葉がありませんでした。私は目に入るものに意識が行きがちで、視野に入らない背中は「背中」という存在でなく、ただ身体の裏側の別名、そうゆう在り方だったのです。
セッション後に感じたことは、円柱になったことでした。変な例えかもしれませんが、イメージとして浮かんだのはバームクーヘンでした。バームクーヘンは真ん中の穴も含めてバームクーヘンですが、自分という核が穴であり、それを守るように生地という自分がある感覚。自分が前面だけでなく、横も後ろも同じ幅をもっている感覚。その感覚にいると、必然的に視野も広がります。今まで180°見えているとするならば、左右+30°ずつ後
ろ側に240°の視野がある感じがするのです。後ろが少しでも見える安心感は、視覚に頼り
がちな私にとっては大きな拠り所です。
ニュートラルな立ち方、歩き方、屈伸を何度も行いました。些細な動作ですが、だからこそ重心の位置が前にあることに気づかされました。前のめりです。確かに、最近、頭を常に使っている毎日で時間に追われています。それが、身体や動作に表れているといえるのでしょう。カラダは正直です。ニュートラルな動作を意識した身体の在り方は、私の考え方や生き方を地に足のついたものにしていく。そう信じられるのです。
私たちがネットで読んだり見たりすればするほど、真実と虚偽を見極めることはますます難しくなります。哲学者のマイケル・パトリック・リンチは、私たちが知る情報は多くなっているのに、理解度は低下していると言います。
このトークで彼はフィルターバブルを吹き飛ばし、すべての物の存在基盤となる「共通の現実」に参加する能動的な歩みを試みることを私たちに迫ります。
情報過多のフェイクニュース時代、映画マトリックスのような世界に突然巻き込まれたりします。巻き込まれるという発想で逃げながら生きるか、出会いとして現実を見つめるか、我々は常にその現実に生きているとも言えます。
それにしても無意識からのエージェントはなんで黒いんですかね〜?自分からズレて生きていると、それは時に本当に現実世界に現れます。
あなたの前に、ある時、黒いサングラスの女性がやってきて、「キミを現実に連れ出すためにこの次元に迎えにきた!キミと共通の現実を持ちたい!」なんて言ってきたらどうしますか?
今日のセッションは、頭頸部でした。本日をもって終了となります。セッション終了後、今までは下からの力(重力)、安定感、身体の厚みを感じていましが、今回は上に伸び広がった感じがしました。上から誰かが引っ張り上げ、下から誰かが引っ張る感じ。上下に引っ張られているので、自分の重みが軽く感じられます。それはつまり、座る立つ歩くの動作がラクにできることに繋がります。
ロルフィング全行程7回を受けてみて感じたことは、カラダも顔も同じだなってことで
した。ココ・シャネルの有名な言葉に「20歳の顔は自然から授かったもの。30歳の顔は自分の生き様。だけど50歳の顔にはあなたの価値がにじみ出る」というのがありますが、カラダも同じだと思います。親との関係、友人との関係、学校教育、社会人としての経験、体験を経て作られたカラダは、生まれたてカラダにいろいろな癖や習慣をつけています。
ロルフィングを受けることは、生まれたてのカラダになるとまでいかずとも、ニュートラルなカラダを知ることだと思います。一度ニュートラルを知る。それでセッション前の癖がまた出てくるのならば、その癖へと繋がる価値観は自分にとって必要なものなんだと思います。しかし、うまく言えませんが、新しいカラダの在り方になるならば、今ある自分には過去のものは不要で、新しい価値感が生まれていることの表われなんじゃないでしょうか。
ロルフィングは、ニュートラルをカラダに知らせ、古い癖を手放すきっかけを与える。いわば、カラダに表れる「わたしの価値」をよりリアルなものにしていくんだとと思います。全7回のセッションを受けてみて、劇的な変化があったわけではありません。これから変化として表れるのかもしれないし、そういえばって思える日がくるのかもしれません。50歳のカラダにどんなわたしの価値がにじみ出てるのか、楽しみです。
一言で感覚というと五感というのが一般的な感覚です。ロルファーはもう少し多彩な感覚を対象にセッションしています。五感以外に何があるか、ちょっとあげてみましょう。
ロルフィングでおなじみ、体性感覚。これは皮膚感覚と深部感覚があります。皮膚感覚というのは、触覚、温覚、冷覚、痛覚、食感、くすぐったさなどがあります。深部感覚は運動覚(関節の角度など)、圧覚(押さえられた感じ)、深部痛、振動覚があります。それから内臓感覚があります。
そして前庭感覚。主に平衡、奥行の感覚、方向性を感じる感覚。それから固有感覚という、筋、腱内の受容器の知覚です。固有感覚は、体の様々な部位の位置する場所を感じて無意識的に処理されています。固有感覚は、我々を守ってくれますが、アップデートされないと、正確だと思い込んでその動きを繰り返してしまう場合があります。それから痛みという感覚は、脳で統合的に作られる感覚ともされています。
なかなか説明が難しいですが、セッションの中では10くらいの感覚を駆使してワークしていると思われます。自分で自分のワークを説明できる言葉が無いのは心もとないのですが、名前を付けたりするのは学者や研究者だと思いますので研究を待ちたいと思います。僕は身体の全体性の実践者・体現者ということでボディワーカー、またロルフィングワークの提供者としてロルファーということになります。
我々は、視覚偏重の知覚体系の日常生活になっていますので、視覚含め五感、および、その他の感覚を進めることにより、視覚含め五感、および今まで使って来なかった未知の感覚を感じ始める事があります。ワクワクしますね。