色々と対話を進めていくうちに彼女の統合力に気が付きました。
十分に自分の力があるのです。
まず7セッションまでを今回行い、あとの3セッションは今から実現しようとしていることを進めていく中で、
統合の気づきのタイミングで、3セッション改めて受けては如何か?と僕は提案しました。
僕の提案に、彼女は賛成してくれました。
7回のセッションシリーズの記録です。
「脚の形が変わるかもしれない」というのがセッション②までを受けての私の感想です。
セッション②後、足裏の着地感と右膝の違和感があります。足裏では、足が着地する度に今まで無感覚だったところが着地したことを感じるようになっています。それは違和感なんですが、安定感があります。そして、いつもより半歩前に自分がいる感覚がしています。
右脚は「痛みのある違和感」があります。しかし、この状態を「違和感」でなく、「これが身体構造上のニュートラル」と思うことが自分の癖からの脱却につながりそうです。
自分の癖といえば、私はしゃがむ動作において足首と股関節が使えてないことがわかりました。ごく普通の動作において、実は使えてない箇所があり、それをどこかが補完している(過負荷になっている)という事実が興味深かったです。
足のアーチ、足裏の着地感、足首と股関節が覚えた新しい仕事。こうゆう側面から見てみてると、歩く立つしゃがむという自分の体重を負荷とした日常の動作というワークによって、脚の形そのものが変わるんではないかと思っています。今更感はあるのですが(笑)、綺麗な形の脚にこれからなっていくのでは?という期待を胸に抱いているところです。
『扉が開いた。』
それがセッション3後に抱いた気持ちです。ロルファーが右腰に手を当てていると、右膝に嫌な感じ溜まっていきました。痛みはありません。ただ嫌な感じ。それが一体なぜなのか、身体に耳をすませていました。そして、学生時代に右膝を故障したことを思い出し、不思議なことにすっかり忘れていたその頃の恋愛感情が浮かんできました。
相手に受け入れてほしくて自分を押し殺し、気分屋の彼の気持ちを斟酌することに全力を注いでいたこと、それがその後の男性との関係性に大きく影響してきたこと。気が付いた時には涙が止まらなくなっていました。彼が常にいた右側に、捻じれた感情を私は閉じ込めていたのかもしれません。扉が開かれ、私の捻じれた感情は涙と共に飛び出しました。それは、内捻転気味だった私の右脚がセッション前と違うものになっていたことや歩き方までも変わっていることからそう感じるのです。
今、立ってみると、足裏に吸盤があるよう地面に吸い付く感じがします。その安定感は私に安心を与えています。グルグルと頭の中で渦巻いていたものが、もう自分を押し殺すような、捻じ曲げるような生き方はしないという決断へと変わっています。あとは、表現するだけです。どう自分が表現していくのかを楽しもうと思います。
セッションを受けるごとに、立つ歩くという日常の動作ですら、右をかばい結果的に左に負荷をかける動きをしていることに気がつかされました。右脚から動ける自由、右側に体重を預けられる安心感、そこから得られる右脚の自立感は私に信じられないほどの解放感を与えてくれました。
一方で、右膝の痛みが続いており、歩き方が歩きたての子どものようにぎこちないものになっている認識がありました。足と地面がまるで強固な磁石のN極S極のようにしっかりと吸い付き安定感を与えているのに、脚がてんでんバラバラな感じがして、「くねくね人形」のようだと思っていました。
セッション4後、立つと重心は前へ、脚のラインが外側にあったものが内側にあることを感じます。歩くと、脚は股関節というよりもっとお腹、腰骨辺りから出ている感じがします。以前は足が出てそれから体重が追いつく感じだったものが、前に出した足に体重が乗って進みます。重心移動が速いのです。そして、右膝の痛みがなくなっていることに気が付きました。もう、くねくね人形ではありません。幹のようなものが私の身体に通っていることを身体が教えてくれているのです。
セッション5の後、私には明確な「変化」の気づきがありませんでした。でも、ロルフィングは施術後直後だけでなく、何週間か経た後にも変化が表れてくるという「ロルフィングのおもしろさ」を感じています。
一つは、今までハイヒールを履くと夕方に感じていた右足首と右膝の痛みや違和感がなくなったことです。8cmヒールも平気です。もう一つは、ランニングを止める原因ともなった左股関節の痛みとそれを庇うからか痛めた右膝の腸脛靭帯の痛みもありません。痛みを抑えるため毎晩ストレッチをしていたのですが、1週間程度ストレッチをしないでいても痛みを感じることはありませんでした。脚にアプローチするセッションを受けて3~4週間は経ていると思います。今になって現れるとは、なんだか「サプラーイズ!」
これは、セッション5と関係あるのかわかりませんが、なんとなくセッション4後の「外側から内側に変化を感じた脚のライン」が「ラインでなく」もっとしっかりしたものになっているよう感じます。平たく言えば、脚が腰骨の高さから地面に向けてズドーーンとある感じがしています。
今回のセッションは腹部周辺でした。個人的に腹部と背部はセットと思っています。次回の背部を受けることでセットで明確な変化があるのかなぁと想像しています。遅れてやってくる「サプラーイズ」は楽しみ倍増でウェルカムです。
「自分の背中は、どういう感じですか?」と最初に聞かれましたが、私には答えるべき言葉がありませんでした。私は目に入るものに意識が行きがちで、視野に入らない背中は「背中」という存在でなく、ただ身体の裏側の別名、そうゆう在り方だったのです。
セッション後に感じたことは、円柱になったことでした。変な例えかもしれませんが、イメージとして浮かんだのはバームクーヘンでした。バームクーヘンは真ん中の穴も含めてバームクーヘンですが、自分という核が穴であり、それを守るように生地という自分がある感覚。自分が前面だけでなく、横も後ろも同じ幅をもっている感覚。その感覚にいると、必然的に視野も広がります。今まで180°見えているとするならば、左右+30°ずつ後
ろ側に240°の視野がある感じがするのです。後ろが少しでも見える安心感は、視覚に頼り
がちな私にとっては大きな拠り所です。
ニュートラルな立ち方、歩き方、屈伸を何度も行いました。些細な動作ですが、だからこそ重心の位置が前にあることに気づかされました。前のめりです。確かに、最近、頭を常に使っている毎日で時間に追われています。それが、身体や動作に表れているといえるのでしょう。カラダは正直です。ニュートラルな動作を意識した身体の在り方は、私の考え方や生き方を地に足のついたものにしていく。そう信じられるのです。
今日のセッションは、頭頸部でした。本日をもって終了となります。セッション終了後、今までは下からの力(重力)、安定感、身体の厚みを感じていましが、今回は上に伸び広がった感じがしました。上から誰かが引っ張り上げ、下から誰かが引っ張る感じ。上下に引っ張られているので、自分の重みが軽く感じられます。それはつまり、座る立つ歩くの動作がラクにできることに繋がります。
ロルフィング全行程7回を受けてみて感じたことは、カラダも顔も同じだなってことで
した。ココ・シャネルの有名な言葉に「20歳の顔は自然から授かったもの。30歳の顔は自分の生き様。だけど50歳の顔にはあなたの価値がにじみ出る」というのがありますが、カラダも同じだと思います。親との関係、友人との関係、学校教育、社会人としての経験、体験を経て作られたカラダは、生まれたてカラダにいろいろな癖や習慣をつけています。
ロルフィングを受けることは、生まれたてのカラダになるとまでいかずとも、ニュートラルなカラダを知ることだと思います。一度ニュートラルを知る。それでセッション前の癖がまた出てくるのならば、その癖へと繋がる価値観は自分にとって必要なものなんだと思います。しかし、うまく言えませんが、新しいカラダの在り方になるならば、今ある自分には過去のものは不要で、新しい価値感が生まれていることの表われなんじゃないでしょうか。
ロルフィングは、ニュートラルをカラダに知らせ、古い癖を手放すきっかけを与える。いわば、カラダに表れる「わたしの価値」をよりリアルなものにしていくんだとと思います。全7回のセッションを受けてみて、劇的な変化があったわけではありません。これから変化として表れるのかもしれないし、そういえばって思える日がくるのかもしれません。50歳のカラダにどんなわたしの価値がにじみ出てるのか、楽しみです。